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全然成長できていないままなのに毎年入る新人アナ…“若さ”が重宝される世界で増していく焦り

――女性アナウンサーは若いほど重宝されて、キャリアを重ねるほどメディアへの露出が減る印象があります。

塩地 今思えば珍しいことなんですけど、秋田朝日放送は毎年新人アナウンサーが入ってきたんです。それがツラかったというか。新人アナウンサーは目をかけてもらえるし、どんなことも挑戦できるけど、私は全然成長できていないままで……。若さが重宝される世界だから、それに対する焦りはハンパなかったです。

――その焦りをどう克服しましたか?

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塩地 容姿や若さなどではないところで努力しようとしました。

 地方局だとアナウンサーも裏方の仕事までしなきゃいけないんです。私も、自分で取材して編集して、カメラを回すこともありました。裏方としての仕事で結果を出せば、スタッフの方との信頼関係も生まれるし、自分の立ち位置も変わるんじゃないかと思ったんです。

写真=釜谷洋史/文藝春秋

――ひとり何役もこなしていたんですね。

塩地 最初の頃は泣きましたけどね(笑)。新卒で入ってすぐに車のキーとカメラと三脚を渡されて、「ここで撮影してきて」と言われましたから。そこで踏ん張る力をつけたことが、今の仕事に活きていると思います。

フリーになって求められる“キー局への嫉妬”と「でも、地方局は…」

――「キー局と比較して地方局は……」と思うことはありましたか?

塩地 フリーになって苦しさを感じたのが、キー局のアナウンサーに対する嫉妬エピソードを求められたことなんです。一応乗っかるんですけど、内心は「地方局のアナウンサーのほうが長続きするのに……」と思ってました。現場まで運転して取材して編集して撮影して機材運んで……。大変でしたけど、秋田朝日放送が誇らしかったんです。

――秋田朝日放送の中で出世しようという気持ちはなかったんですか?

塩地 その意志はあって。「経営に携わりたい」とさえ思ってました(笑)。今でも「局員のままだったらどうなっていたんだろう」と考えることがあるんです。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。