史上最強の竿無し男 俺に急所はない。 

 そんなキャッチフレーズでホスト格闘技イベント「宴 -UTAGE-」のリングに立つのは、女性としての性を割り当てられて生まれ、現在は男性として生きるFtMの進一(31)。 

 現場仕事で知った“男”の社会、25歳で臨んだ性別適合手術、失敗に終わってしまった結婚などについて、彼が店長を務めるBAR はいからで話を聞いた。 (全3回の1回目/2回目を読む)

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進一さん

◆ ◆ ◆

「初めて男として殴られた」

一ー性別適合を考え始めたのは。 

進一 19歳の時ですね。FtM限定の求人募集みたいな掲示板があったんですよ。

 その頃、成田にある彼女の家に居候してたので、千葉のほうで仕事を探してたんですけど、そこに千葉のオナベ・バーの募集が載ってた。ホルモン治療や手術を意識しだしたのは、そこで働き出してからです。 

一ーバーをやられている方も、やはりFtM? 

進一 全部の治療を終えたFtMで。僕より15歳くらい上の“竿”もある人で、めちゃめちゃお世話になったんですよね。引っ越しの手伝いもしてくれたし、生活用品を買い揃えてくれたり。何よりも、「手術して、男性として生きられるんだ」っていう性別適合の“兆し”をくれた人だったんです。 

一ーそこで働きながら、治療を始められた? 

進一 いや、そうは言いつつ、バーでは半年しか働かなくて。当時はとにかく男性社会に溶け込んで、早く男として見られたかったんで、千葉に残ったまま現場仕事をするようになったんです。最初は建築資材を現場に搬入する荷揚げで、その後に鳶職。

 僕、腹違いの姉がいるんですよ。8歳上で。姉貴にも「ああいうとこは、ほんとに縦社会だし、水商売より “男”のこと学べると思うよ。力で決まるから、そこで戦って頭張ったほうがかっこいいよ」って。この姉貴の言葉が、結構デカかったですね。 

 

一ー実際、しっくりきたわけですか。ボーッとしてたり、ヘマやらかしたら「てめぇ、このバカ野郎」となって、もれなくバチーンみたいな。 

進一 めちゃめちゃ叱られましたよ。鳶職の頃は、ぜんぜん殴られたし。しんどかったけど、男として怒られたり殴られたりするのが初めてだったから。「あっ、こんな感覚なんだ……」って。向こうは男だと見ているからこそ、そういうことをするわけで。悔しかったけど、踏ん張れたのはそこ。絶対、認められてやろうって思いましたよね。 

 だから3か月ぐらいで、周りと変わらずに仕事ができるようになって、褒められるようになりました。結果的に頭も張れるようになったし、他の男を扱えていることが自信にもつながりましたよね。 

一ーその頃は戸籍上、まだ女性だったと思うのですが、職場には知られていたのでしょうか? 

進一 いえ、バレてなかったです。