史上最強の竿無し男 俺に急所はない。
そんなキャッチフレーズでホスト格闘技イベント「宴 -UTAGE-」のリングに立つのは、女性としての性を割り当てられて生まれたが、現在は男性として生きるFtMの進一(31)。
幼い頃から感じた性別の違和感、それよりも辛かったルーツをめぐるコンプレックス、高校時代のいじめ、そして一丸となっていじめから救ってくれた家族などについて、彼が店長を務めるBAR はいからで話を聞いた。 (全3回の2回目/1回目を読む)
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ーー幼少期からのお話もお伺いしたいのですが、いくつくらいから性別に対する違和感を覚えるようになったのでしょうか。
進一 保育園に通っていて、ほかの男の子たちと立ちションをしようとしたら先生に怒られたのが、強烈な記憶として残ってます。「あぁ、だめなんだな」と思いつつも、「なんで、だめなんだろ」という疑問もあったところから違和感を感じて。そこからですよね。
「なんで?」だったんですけど、幼いながらに場の空気を読まなきゃいけないのを察して。とにかく、周囲に合わせてましたね。
ーー家では、そういったことは?
進一 覚えてない。でも、保育園よりも親といる時のほうが、振る舞い方に気をつけてたかも。
家は、ザ・普通なんですけど。でも、女の子らしく育てようとしてたのかなと思いますね。当時は気づいてなかったけど、やたらかわいくしたがるなみたいな。だから、かわい子ぶったほうが親も喜んでくれるんだろうなと悟ってました。
ーーたとえば、親に女の子用の洋服をあてがわれても、それを着るしかなかったとか。
進一 そう、それに従うしかなかった。普通にスカートよりもズボンがよかったですけどね、内心は。
七五三なんかも振り袖に喜んでるフリをしてましたね。笑わないと、がっかりされちゃうと思ってたから。
ーー小学校に進んでからは、性の違和感とそれに伴う不自由さみたいなものは一層と大きくなったりは。
進一 いや、小学校が学校生活のなかでも一番自由だったんじゃないですかね。気にしないんですよ、周りの児童たちが。良いも悪いも込みで、「あの子はそういう子」みたいなね。野球をやっていて、打ち込めていたし。まぁ、楽しかったですね。
ーー野球は小1からですか。
進一 小3からですね。まず、小2の時に男の子がサッカークラブやろうよって誘ってくれて、入ったんですよ。でも、小3になったら祖母が野球のほうがいいって言い始めて。祖母がかつてソフトボールの実業団選手をやってたんですね。
それで、両方やってたんですけど、そのうちサッカーをやめて野球一本になって。小6まで野球を続けて、その延長で中学から女子ソフトボールという感じですね。
もう、スポーツ万能な女の子でした。おまけに、目立ちたがり屋。めちゃめちゃ。
ーー中学も楽しく?
進一 中学は嫌な部分もありましたよ。女子の制服を着なきゃいけないし、骨格も変わってくるし。小6で生理が来た段階で、「だよね」って自分も思ってはいましたけど。