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――児童虐待を正当化する口実がなくなるよ、と。

三輪 まさにそういうことです。そもそも懲戒権は「親権者が子どもをどう扱うか」という権利で、子どもを主体的な存在ではなく、しつける客体として見る価値観の表れだと感じます。でも子どもの主体性を無視する考え方は、国連の「子どもの権利条約」(日本は1994年に批准)などと明らかに矛盾するんです。

©文藝春秋 撮影・佐藤亘

――懲戒権ができた明治時代には社会常識と合致していたかもしれないですけど、その常識が変わっている。

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三輪 120年も経っていますからね。子どもの権利だけでなく、人権自体が120年で次々と“発見”されてきました。たとえば1947年に廃止された姦通罪というものがありました。これは女性が不倫した時にだけ適用される犯罪で、「女性は男性の所有物である」という発想で成立しているんですよね。それが、憲法がかわって男女平等に反するということで廃止されました。男女平等という概念もまた「発見」されたといえますね。

――女性は主体になったけれど、子どもはなかなか主体として認められなかった。

三輪 そうですね。最初に成人男子に主体性が認められ、次が成人女性、最後に残っていたのが子どもの主体性だったということになるでしょうか。

――それが冒頭の「やっとか」という感慨になったわけですね。

三輪 子どもを客体としてではなく、主体として見る発想がようやく本格的に大きくなってきたのだなと思いますね。

写真はイメージです ©iStock.com

「右利きの父親に左頬を殴られたのに逆側が痛くなるんだな」

――120年前どころか昭和の時代とくらべても、『巨人の星』の星一徹とか『寺内貫太郎一家』の寺内貫太郎のような子どもに手を上げる親が普通だった子育て観は大きく変わっています。三輪さん自身も、小説家の夫・樋口毅宏さんのエッセイ本『おっぱいがほしい! 男の子育て日記』(新潮社)では「子供の頃から、特に女子高生時代は親の言うことを聞かず、ほぼ毎日、頭を殴られていたという」と書かれていました。

三輪「ほぼ毎日」は言い過ぎですけど、親に手を上げられたことがないとは言えないですね。

――たとえばどんな時ですか。

三輪 私が酔っ払って帰宅して……。

――学生の頃ですよね?(笑)。

三輪 自分でもめちゃくちゃだとは思うんですけど(笑)、その時はさすがに父親に殴られました。ただ酔っぱらいすぎて、殴られた瞬間のことは覚えていないんです。翌朝起きたら右顎が痛くて、「右利きの父親に左頬を殴られたのに逆側が痛くなるんだな」ということだけを学習しました。他にも殴られたことはあるんですけど、理由はほとんど忘れています。だから殴ったこと自体は、しつけとしてまったく効果がなかったと思うんですよね。

――殴られた理由を覚えていなければ反省のしようもないですよね。