しかし、それも本人に言わせれば、監督や共演者たちと納得ゆくまで話し合いながら役作りした賜物であった。当時の週刊誌の記事では、《取材で『素でやってるでしょ』と言われると、やっぱりちょっとむかつくかな。映画の物語の中でリアルに生きてる人になるためにどうしたらいいかとか、共演者の空気感を受けて次はこうやってみようとか、いつも考えているから》と、世間での反応に疑問を呈している(※2)。
別の記事でも、「天才」との世評に対し《天才って何?という感じですね。考えてつくっていくしかないじゃないですか。だって、演じている役は自分自身じゃないんだもん。みんながつくってくれる部分もあるし、自分がこうしたいなと思う部分もあるし、しっかり話し合って、自分の意見がないと流されちゃうし、自分の意見が強すぎても、みんなでつくってるという感じがしないし》と語っていた(※3)。
岩井俊二の酷評に涙したことも
役作りに対する彼女の熱意を示すエピソードとしては、映画『虹の女神 Rainbow Song』(2006年)への出演にあたり、同作のプロデューサーの岩井俊二に初めて引き合わされたとき、上野が自分の演技論を熱くぶつけたところ、岩井に「全然、そう思わない。俺が監督じゃなくてよかったね」とはねつけられ、泣いてしまったという話も伝えられる。演技について上野は身体性から語り、岩井は「日常」として考えていたがゆえのすれ違いだったが、その後、現場で上野の演技を見た岩井はその熱意に驚き、高く評価している(※2)。
その後も現在にいたるまで、《前のイメージとはまったく違う役が来ると、挑戦状をもらうような気持ちになる。それがいつも楽しみなんです》と語るほど(※4)、役作りへの熱意は冷めることがない。
ただ、上野の役作りは、ハリウッドスターのように、肉体を鍛えて体重を増やしたり減らしたりするといったものとは、まったく方向が違う。そもそも彼女はブレイクした頃より、自分がなりたいのはスターではないと公言してきた。
2008年、『週刊文春』の巻頭グラビア「原色美女図鑑」に初登場したときには、ちょうどロケで行ったばかりだったアフリカで、《現地のチーターやライオンには“決め顔”が必要ないんです。もとから“決まって”いるから》と気づき、圧倒的な大自然を前に、俳優という仕事の意味すら霞んでしまいそうだったと明かした(※5)。それに続けて次のように語っているのが印象深い。
《それでも私は、見ている人にパワーや共感を与える女優でいたい。私自身、スターになりたいわけではないし、美しさを磨くタイプでもない。普通の生活感覚を大事にして演じたいんです。自分にとって高価過ぎるものを買わないなど、普段から気をつけています》