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 たとえば担任を受け持った子の中に、肘から先がない女の子がいました。成績はクラスで1番で、すごくきれいな子だけど、いつも暗い顔をしてお友達を作れないでいたんです。その子には、バレーボールは肘先でだって受けられるよと、そのやり方を教えました。縄跳びも、脇に挟んで飛べるようにしました。

 ハンデを理由にして最初から諦めるより、ハンデがあるからこそ、他の人ではわからないことを身につけられればいいでしょう?

 自分にもいろんなことができるとわかると、彼女は見違えるように明るくなりました。周りの子たちも「あの子は頑張っていて偉いね」と言い出して、友達になり、クラス全体が元気になりました。

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 こうしたかつての教え子たちは70代になった今でも「先生」と慕ってくれて、毎年「クラス会をやろう」と連絡をくれます。

授業ではしなやかな動きを見せる ©文藝春秋

 教師の仕事はやりがいがあったものの、学校体育には違和感が募っていきました。月ごとに取り組む種目が決められていて、目の前の子どもたちに応じてカリキュラムを変えることができないし、それをやることで将来どう役立つかを伝えきれません。本当なら、1人ひとりが健やかに生きていくための体の作り方を教えるべきだと思いますが。

 そもそも体育の授業って、生まれつき運動神経がいい子は頑張らなくてもできるし、そうでない子は一生懸命やってもできないことがありますよね。それなのに、当時の公立中学校は相対評価ですから、上手にできるかできないかで成績をつけなくてはならないことにも抵抗がありました。

 それで1度、全員に同じ成績をつけたら、校長室に呼び出されました。「評価ができない先生は、教師にしておくわけにいかないと教育委員会から言われるよ」と。でも、校長先生も苦しかったのでしょうね。うっすら涙を浮かべながら「しょうがない。長く休んだり、なかなか授業を受けられなかったりする子はいない?」と言うんです。長期欠席の子がいると低い成績をつけられるからホッとするなんて、つくづくおかしな評価システムでしたね。

女性が体操をするなんて

 出産を機に退職して、専業主婦になりました。するとすぐ、住んでいた横浜・戸塚の公団住宅で、他の奥さんたちから「体操を教えてほしい」とお願いされました。

菊池和子氏による、「88歳『きくち体操』の伝道師」の全文は「文藝春秋」2022年6月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

文藝春秋

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88歳「きくち体操」の伝道師