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「あの状況でよく飛んだなぁ…」ディーン・フジオカの妹(40)が発声障害を乗り越え、異国でスタントに挑むまで

藤岡麻美さんインタビュー#2

2022/05/29
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藤岡 だから台湾に住んでいるだけでも、「あぁ幸せだな。今、ここにいられて良かったな」って。今思えば、日本にいる時は、かなり追い詰められていたんだと思います。プレッシャーから逃げ出したかったのかもしれません。

――移住されるにあたって、「台湾でこれがしたい」というものは何かあったんでしょうか?

藤岡 まず中国語が一切喋れなかったので、その段階では何がしたいとかは考えられなかったですね。ただ、台湾でもできれば芸能の仕事をしたいという思いはあったので、移住前の1年間は、2~3ヶ月ごとに台湾を訪問しては日本からの少ないつてを頼りに、芸能の仕事について相談していました。

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 すると、一様にまず言われるのは「言葉だね」と。日本でも語学学校に数回通ってはみましたが、日本で中国語を学ぼうとすると授業料がすごく高かったり、あとは台湾中国語を学べる教室が当時は少なかったりして。なので、これは行っちゃった方が早いなと思いました。

台湾での仕事はどう始まった?

――そこから、現地でのお仕事はどのように始めていかれたんでしょうか?

藤岡 言葉が喋れなくてもできる仕事なら、とにかく何でも良いので、チャレンジしますと周りの人にお願いしました。失うものが何もなかったので、何でもしますと。

 すると、ラッキーなことに、現地に着いて3、4日後ぐらいに、とある女性監督が台湾の観光局の短編フィルムを撮るために、日本人女性を探してると。「もし興味があれば監督を紹介しますけど、どうします?」と言われたので、「やります!」って(笑)。

 

――それが、台湾での最初のお仕事だったんですね。

藤岡 はい。その後は現地のダンススクールに通ったり、アクションの練習に参加したりしたんですが、そこで知り合った方が、ピンチヒッターでダンスのショーに出てくれないかと声をかけてくれて。

 そこから色々と繋がって、中国武術のパフォーマンスショーに出演したり、ゲームのモーションキャプチャーでアクションを担当させてもらったりするようになりました。

――もともと日本でもアクションはやっていたんですか?

藤岡 いえ、台湾に行ってからです。日本ではほとんど運動すらしてなかったので、ヒョロヒョロでした。

ビルから飛び降りるスタントも!

――台湾で初めてアクションをやってみて、サクッとできるものなのでしょうか。

藤岡 自分ではどうだったか分からないんですが、アクション監督は、わりと素質があるというのか、動きが速いということは言ってくださいました。でも、とにかく仕事に関しては常に必死でしたね。

 語学が全然できなかったので、たとえば振付師の人が何を言っているのか分からないんですけど、みんなの動きを見よう見まねでどうにか覚えて、それから家で練習したり。もう……必死でした。その甲斐もあって、最終的にはアクションドラマで出演者に殺陣を指導するまでになりました。

――台湾ではスタントにも挑戦されているとか。

藤岡 ワイヤーを付けて高いところから飛び降りたり、殴られて後ろに思い切り吹き飛んだり……。初めてのことばかりでしたが、スタントウーマンは経験できて良かったなと思っています。