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藤岡 一度、カメラの位置の関係で、命綱が1本足りない状態でワイヤーアクションをしたことがあったんです。ビルの3階くらいから飛んで、途中で幅の狭いコンクリートにぴょんぴょんと2度着地しながら、3歩目で地面に降りるんですけど、真っ直ぐに進まないと足を踏み外して落下してしまう。

 今では、あの状況でよく飛んだなぁ……と思いますが、そうした危険な現場でも、努力しているところを見てくれる人がいて、次第に「麻美だったらできるかもしれない」と声がかかるようになりました。

――語学の勉強はどのように進めていたんでしょうか。

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藤岡 台湾に住み出してからは、中国語の語学学校に月曜から金曜まで通っていました。宿題をこなす時間も入れると、毎日6時間程度は勉強していたと思います。その頃には、日常生活では時々台湾人に勘違いされることも出てきたので、徐々にオーディションを受けはじめて、CMやドラマに女優として出演するようにもなっていったんです。

台湾に行って何が変わった?

――小さい頃から「自分以外の何者かになりたい。ならなきゃいけない」という思いがあり、それがご自身を苦しめていたと仰っていましたが、それは台湾に行ったことで変わりましたか?

藤岡 そうですね……。だいぶ変わったと思います。日本にいたときは、ちゃんとやらなきゃ、完璧にやらなきゃと思っていて、ドラムやボーカルをやっていたときも、自分が思う100点に達してないと納得できない部分がありました。

 でも、台湾に来てからは何をしても失敗するんですよ(笑)。あれをやってもこれをやっても失敗ばかりなので、むしろできないことが当たり前だと気づいてから、変わった気がします。

――できない自分を受け入れられるようになった?

藤岡 もちろんそうなるまでに、最初の頃は悔しくて泣いた日もあったんです。でも、途中からもういいや、みたいな感じになって(笑)。「だって、出来ないんだもん」って。でも、そう思っていても、やっていくうちに気づけばできるようになっているんです。それは本当に周りの方たちに支えられて、感謝の中でという感じですが。

「台湾に軸足を置くか、日本なのか……」

――では、今後も台湾を拠点にというのは変わらずですか?

藤岡 すごく迷っています。台湾に軸足を置くか、日本なのか……。今は台湾で知り合った日本人の方と結婚して、子どもも2人います。なので、コロナ前までは、家は台湾と日本両方にあって、行ったり来たりの状況でした。

 ただ、今はコロナの影響で隔離期間があり、行き来が大変になったので、一段と先の予定が立てづらくなりました。子どもの教育を考えると、小さい頃から台湾で中国語を学んでおいた方がいいと思うんですが、日本も好きだし、でもやっぱり台湾も居心地がいいし。いろいろ悩んでます。

 ただ、日本に住むにしても、昔のように自分で自分を縛る感じではなくて、台湾のゆるっとした心地良さをイメージしつつ、肩の力を抜きながらやっていけたらいいなと思ってます。

 

撮影=釜谷洋史/文藝春秋

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