「平成のおニャン子クラブ」をイメージして、1998年に結成されたアイドルグループ・チェキッ娘。そのメンバーだった藤岡麻美さん(40)は、グループ解散後もバンドやソロ活動を続けますが、その最中、突然声が出なくなり、全ての仕事をやめて台湾に移住することを決意します。

 私生活では、俳優ディーン・フジオカさんの妹でもある藤岡さん。“アイドルを夢見た少女”が芸能界の扉を開けて、目にした景色とは――。(全2回の1回目/後編に続く

藤岡麻美さん

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――藤岡さんが芸能界へ入ったきっかけは、事務所のオーディションだったんですよね。

藤岡 中学1年生のときに、同じ部活の子から「雑誌でこんなコンテストを見つけたんだけど、受けてみようよ」って誘われたんです。それがSME(ソニー・ミュージックエンタテインメント)の「ちょっとそこまでオーディション」というもので。

 書類審査に通った人たちでハウステンボスに行って、遊びながらコンテストが行われるんですが、最終的に選ばれると新人発掘の部署でレッスンを無料で受けられたんです。そこで合格して、ボイストレーニングやダンスレッスンを受けることになりました。

――変わった名前のオーディションですね。

藤岡 私が受けた前後でも、何回か行われていたみたいで。オーディションの名前や代が若干違うかもしれないんですけど、確か篠原ともえさんやPUFFYさんもこのオーディションで選ばれたんじゃなかったかな……。そんなお話を伺ったことがあります。

――それで事務所に所属することになったんでしょうか?

藤岡 そのときは所属ではなく、「預かり」という形でした。デビューしていたわけではないので、立場としては素人で、将来の所属候補として、レッスンやちょっとした取材だけ受けていたという感じです。

 

――オーディションから3年後、高校1年生のときに「チェキッ娘」のメンバーに選ばれますが、それでは芸能界でのデビューはこのタイミングということになるんでしょうか。

藤岡 そうですね。

「隣のクラスにいるような女の子」がコンセプト

――チェキッ娘もオーディションで?

藤岡 はい。フジテレビの『DAIBAッテキ!!』という新番組で、素人の子たちを集めて女性アイドルグループを作るという話を聞きまして。それでオーディションを受けにいったんです。

――当時もアイドルには素人っぽさが求められる時代だったんでしょうか?

藤岡 どうなんでしょうか。あの頃は、まだそんなに大人数のグループはなかったと思うんですが、チェキッ娘を作ったプロデューサーの水口さんという方が、当時おニャン子クラブの「夕やけニャンニャン」にも携わっていて、それで“平成のおニャン子クラブ”を作りたいというのがあったみたいです。なので、チェキッ娘のコンセプトも「隣のクラスにいるような女の子」でした(笑)。

――藤岡さんはもともと、アイドルを目指していたんでしょうか。