下校中にプロポーズしてくる熱狂的なファンも
――チェキッ娘が活動していたのは1998~99年ですが、当時はかなり熱狂的なファンもいたとか。
藤岡 私は高校の先生がすごく理解のある方で、毎日6時間目の授業を10分だけ出席して、早退させてもらって、仕事に向かっていたんですね。それで、1人で学校を出て、駅について電車に乗るんですけど、そこでひざまずいてプロポーズしてくる方がいました。たぶん、どこかからつけて来ていたんだと思うんですけど。
友達と下校したときも、私が楽しそうに大きな声で笑っていたら、またもやその方が電車の中でひざまずいて、プロポーズしてから「麻美ちゃんって、本当は明るいんだね」と。もっとおとなしい人だと思われていたみたいで。
――ちょっとびっくりするようなお話ですね……。
藤岡 その方は卒業式の日も来ていました。式が終わって体育館を出たらピョンって現れて、バラの花束を100本くらい持ってひざまずいていて、「麻美ちゃん、おめでとう!」と。他にも学校の正門辺りで私が出て来るのを待っていたファンの方々がいたようで、その日はマネージャーさんが心配して、私を車で家まで送ってくれました。
卒業式の日はさらに続きがあって、帰宅後、母が「麻美ちゃーん」と呼ぶので、いつものように「はーい」と答えると、玄関の方から「〇〇さんがいらっしゃったよー!」と。その方は有名なチェキ男(※チェキッ娘の男性ファン)だったので、母も家の中に通しちゃって(笑)。
10年後に起きた“意外な再会”
――そうした経験の中で、「さすがにこれは怖いな」と思うことはなかったですか?
藤岡 うーん、怖いと思ったことはなかったかもしれないです。他にも、朝学校に行くときに駅の改札とか、学校の近くで立っている人もいたんですが、みなさんグループではなくて、個々なんです。一人一人、それぞれのスポットにいて。そこで「おはようございます!」「お疲れ様です!」って挨拶して。
――あちらが?
藤岡 いや、こっちがです(笑)。あまりに頻繫に会うし、向こうも気さくに「麻美~!」って言って下さるので、私も条件反射で「あ、どうも!」って返すようになって。話しかけられると邪険にできない性格というか、会話くらいならって思ったのかな……。
――それは、高校を卒業するまで続いたんですか?
藤岡 そうですね。卒業してからは、そういうことはなくなりました。ただ、それから10年くらい経った頃かな。中野でコンサートを観に行った帰りに信号待ちをしていたら、目の前に停まったタクシーの運転席に、あの100本のバラの方が座ってたんです。
それで私、思わず大きな声で「お久しぶりです!」って言っちゃって(笑)。そしたら「麻美ちゃん、覚えててくれたの~?」って言いながら、信号が変わると、ブゥーンって去ってしまいました。
――そんな再会劇が……。改めて芸能活動のお話に戻りますと、デビューから1年後、番組終了とともにチェキッ娘も解散。その後、藤岡さんはグループ内ユニットであるchee’sのメンバーとして活動を続けられます。ただ、このchee’sも2年ほどで解散してしまいますよね。