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藤岡 それは後悔していることの一つで……。それまでの私はポンポンって、あまりにスムーズに事が運んでしまっていたんです。チェキッ娘やchee’sとして活動できる場があるなんて、こんなにありがたいことはなかったのに、あの頃はそれが理解できなかった。今だったら手放すべきじゃないって分かるんですけど、当時は歌に集中したい、シンガーソングライターとしてソロでバラードを歌いたいと思っていたんです。

 でもchee’sはバンドで、私はドラムを叩きながら歌っていたので、曲もロックだったりして、どっちも納得いくまでできていないという感じで、不満だったんです。メンバーも他にそれぞれやりたいことがあったので、最終的にマネージャーさんも、じゃあ解散しましょうとなりました。

ギッシリ埋まっていたスケジュールが真っ白に

――そこから仕事の環境は変わりましたか?

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藤岡 それまで毎日のようにバンドの練習や取材、撮影、レコーディングなどで、ギッシリ埋まっていたスケジュールが、突然、全部真っ白になりました。チェキッ娘のときもchee'sのときも、毎日お仕事があるのが当たり前だったのに、それを自分で壊してしまった。それでも、やっぱり音楽をやりたくて、デモテープを作り始めたんですけど、なかなか曲をリリースするところまで辿り着けなくて。

 2年間ぐらいは水面から顔だけを出して、溺れまいと必死にもがくような感覚で、どんどん苦しくなっていきました。天国から地獄に落ちたような感覚で。それまではアイドルだったので、今度はソロのアーティストとしてやっていくためにイメージをガラッと変えてみよう、と提案をいただいたりしたんですが、そこで私が一生懸命になっていたのは「自分じゃない誰かになる」みたいなことで……。今思うと、それは辛かったなぁと。

――自分じゃない誰かになる?

藤岡 誰かから「この人みたいになれ」と言われたわけではないんですが、その時の自分では上手くいかなかったので、自分を変えなきゃいけない、私じゃない人にならなきゃいけないという方向に、自分の中で勝手に……。

 でも、実はこの感覚、たぶん3歳くらいのときから私の中では始まっているんです。

――そう思うようになった、原体験みたいなものがあるんでしょうか。

ある日突然、声が出なくなってしまった

藤岡 3歳の時、バスに乗っていたら、年配の女性の方たちが私の方を見て「かわいい!!」って言ってくれたんです。ちょうど私は七五三で、赤い着物を着ていたので、てっきり自分が「かわいい」って言ってもらえたんだと思いました。でも、実は私じゃなくて、隣にいた兄のことを「かわいい」って言っていたんです。

 そのことに、幼な心ながら強いショックを受けたようなんです。その記憶がここ数年で急に蘇った時があって、あ、だから私はその時に「自分じゃない人になろう」って決めたんだ……と、謎が解けました。ありのままの自分では、かわいいって言ってもらえない。人に愛してもらえないんだ、って。

――ただ、chee’s解散後に、実際に「自分じゃない人」になろうとしたら、それはかなり辛かったと?

藤岡 自己否定を繰り返して、別の自分になろう、別の自分になろうと、歌い方を変えたりしているうちに、声帯に強い負担をかけていたのか、知らずしらず様々なストレスを溜めていたようで。それである日突然、声が出なくなってしまったんです。

撮影=釜谷洋史/文藝春秋

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。