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ウクライナの起源

 ウクライナの起源は、9世紀に誕生したキエフ・ルーシ公国です。この地には紀元前からスキタイ人をはじめとする様々な民族が現れては消えていきましたが、後にウクライナ人やロシア人となる東スラブ人が定着し、キエフ(キーウ)を首都とする国を形成したのです。

 後世にも大きな影響を与えたのが、ヴォロディーミル(ロシア語名ウラジーミル)大公です。キリスト教を国教としたことから「聖公」と呼ばれます。

 ウクライナのヴォロディーミル・ゼレンスキー大統領と、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が同名なのは、この聖公の名前がウクライナやロシアで今も人気だからです。女性の場合は、聖公の祖母で、後にウクライナとロシアで最初の聖人となった聖オリハ(ロシア語名オリガ)の名前が定番です。

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 今日のキエフは栗やマロニエの街路樹が彩る美しい街ですが、何と言っても印象的なのは、中世の寺院です。特に1037年に建てられたソフィア聖堂は、第二次世界大戦でキエフ中心部の85%が破壊された中で、よく無事に残ってくれたと思わずにはいられません。

 聖公がキリスト教を国教とする際、ローマ・カトリックでなくギリシア正教を選んだことは、後世のロシアが西欧諸国やポーランドとの政治的、文化的断絶を生じることに繋がっていきます。

 一時は中世ヨーロッパの大国となったキエフ・ルーシ公国ですが、1240年にモンゴルの侵攻を受けキエフが陥落、滅亡します。その後、現在のウクライナの地にできたハーリチ・ヴォルイニ公国も、14世紀半ばにはリトアニアとポーランドに併合されます。そこから17世紀半ばまでの約300年間、この地域は他国の支配下にありました。

 一方で同時期、キエフ・ルーシ公国ではいわば分家筋だったモスクワが、大公国として台頭します。そして、もともと単一のルーシ民族だったものが、ウクライナ、ロシア、ベラルーシの三民族に分化。言語もウクライナ語、ロシア語、ベラルーシ語へと分かれていきました。

 こうした歴史を巡り、ウクライナとロシアの見解の相違が出るのが、それぞれの国名についてです。