なぜ悲劇は繰り返されるのか。元駐ウクライナ大使の黒川祐次氏による「ウクライナ残酷な物語」を一部転載します。(「文藝春秋」2022年6月号より)

◆◆◆

「これは大した国が隠れていたものだ」

 ウクライナへのロシアの侵攻により、私が2002年に出版した本『物語 ウクライナの歴史』(中公新書)が注目されるようになりました。侵攻までに刷られたのが3万部程度だったのが、今や15万部を超えています。正直なところ、20年前には、出版社もこれほど売れると思っていなかったでしょう。本書の企画は私からの売り込みだったのですが、日本では遠く離れたウクライナへの関心は低く、当初は心配だったのではないでしょうか。

 私は駐ウクライナ大使として、1996年秋からの2年7カ月をかの地で過ごしました。その後も仕事や旅行で訪れてきました。

ADVERTISEMENT

 いろんな国に赴任しましたが、本にしたのはウクライナだけです。そこには強い動機がありました。

元駐ウクライナ大使の黒川祐次氏

 まず、「これは大した国が隠れていたものだ」という感動があったからです。ウクライナは1991年の独立まで長らくロシアやソ連の一部だったので、具体的にどんな国なのか、大半の日本人が知らずにいました。私自身も「穀倉地帯」だという程度の認識で着任しました。しかしその中へ入ってみると、ロシアなりソ連の名の元にあった人や物事が、実はウクライナに連なっているという発見がたくさんあったのです。

 人でいうなら、小説家のニコライ・ゴーゴリは生粋のウクライナ人です。チャイコフスキーの祖父はウクライナのコサックで、ウクライナ民謡を元にした曲もあります。ドストエフスキーも先祖はウクライナの出と言われています。また免疫学の創始者や、ストレプトマイシンを発見して抗生物質という言葉を作ったのは、ウクライナ系ユダヤ人です。

 他にも芸術家やスポーツ選手など枚挙に暇がないので、興味のある方は本書で確認していただければと思いますが、植民地状態にあった地で世界史に名を残すような人材がこれほど出たのが不思議なほどです。

 面積でいえばウクライナは日本の1.6倍、ヨーロッパではロシアに次ぐ第2位と文字通りの「大国」ですし、農業だけでなく大工業地帯として、科学技術の水準も高いものがあります。こういう国が独立したからには、日本に紹介しないといけないと駆り立てられたのです。

 もう1つ、ウクライナの情報が日本に伝わる際、大半がロシア経由なのも気になっていました。これはウクライナから見ると、バイアスのかかった情報になりかねません。

 後に触れるように、ウクライナはこの危機を乗り越えれば、ヨーロッパ最大の親日国となる可能性を持った国でもあります。そこで、ウクライナとロシアの間で現在起きていることの背景を理解していただくため、この地の歴史を紐解いていきたいと思います。