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命を惜しまないコサック

 ロシアというのは、ルーシをラテン化した名称です。ロシアとしては、キエフがモンゴルの侵攻によって陥落しても、モスクワ大公国として存続したロシアこそが、キエフ・ルーシ公国の正統な後継者だという認識に立っています。

 一方のウクライナという名称ですが、ロシア史をベースとした学説では、もともと「辺境地帯」という意味だったとされてきました。要するに「ウクライナはロシアの辺境なんだから、本来俺らロシアの一部だ」というプーチン的な視点です。

 ウクライナ側は、古い文献の用例を元に、この言葉には辺境という意味はなく、単に「土地」や「国」という意味だったという説をとっています。そもそも自分たちの誇りある土地や国を辺境と呼ぶとは考えにくいし、「お前らの一部ではない」という言い分なのです。

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 ウクライナという単語が特定の地域を指すようになったのは、16世紀から。コサックの台頭と時を同じくしています。

 この地の人々は、モンゴルに侵攻されたり、リトアニアやポーランドによって農奴化されたりと、長く支配される側にありました。また、タタール人などによる奴隷狩りにもたびたび襲われ、肥沃な土地でありながら無人地帯が生じていました。

 そこへ危険を顧みずに入った人々が、武装集団であるコサックになっていきます。

 コサックは農奴の身分に耐えられず逃亡してきた者や、冒険心から加わった貴族や町民など、出自を問わない自治的な組織を作っていきました。自らの命を惜しまず、外敵との戦いによって力をつけていき、17世紀には政治・軍事勢力としての地位を築きます。周辺諸国からも一目置かれていました。

ウクライナの運命を決定づけたフメリニツキーの像 ©時事通信社

 ちなみに、ウクライナ国歌「ウクライナはいまだ死なず」には、我らがコサックの氏族だと示す時だ、という詞があります。コサックによって国家に近い形を築いたという誇りや、彼らの勇敢さを受け継いできたのだという矜持が表れています。ウクライナ人はこの歌を歌うことによって、他国に蹂躙されてきた歴史まで背負って頑張るのでしょう。自国を死守しようとする現在の状況を見るにつけ、まるで今日のために作られたような国歌だと感じます。

プーチン思想の原点は

 さて、コサックの中からウクライナのその後の運命を決定づける人物が現れます。ボフダン・フメリニツキーという男で、一時はコサック国家のようなものを形成しました。

元駐ウクライナ大使の黒川祐次氏による「ウクライナ残酷な物語」は、「文藝春秋」2022年6月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

文藝春秋

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ウクライナ残酷な物語