西池袋にある家賃23~27万円の“タワマン”に住んでいた木嶋
そういった興味もあって依頼を引き受け、木嶋佳苗をモチーフにした小説を書くことを決め、木嶋が逮捕時に住んでいた池袋にしばらく滞在することにした。東京の地理に疎いので、池袋という街についての知識はなかった。
初めて池袋に宿をとった2014年、池袋駅北口から、ネットで適当に決めたホテルに向かい、歩く。立ち並ぶ風俗店、ラブホテル、肌の露出が多めの女が歩き、堅気ではなさそうな男たちが道端にたむろし、ここはあまり品の良いところではないらしいとわかったが、嫌ではなかった。無機質で新しい建物が並び、おしゃれで意識が高い人たちが住む街よりは、居心地が良さそうだ。
木嶋佳苗の住んでいたマンションは、西池袋のタワーマンションで、家賃は23~27万円だと言われている。翌日に私は木嶋のマンションを探した。ひときわ高くそびえる立派な建物で、すぐにわかった。
逮捕当時の木嶋は30代前半で、たとえ大学を出てそこそこの企業に就職していても、その年代の女性で東京のこのレベルのマンションに住める人はどれほどいるのだろうか。しかも、木嶋は赤いベンツまでも所有していた。
私がその年齢の頃は、京都の風呂はあるがトイレが共同の4万円のアパートに住んで、それでも消費者金融への返済に追われ家賃が払えず、親にバレて実家に連れ戻された。数年後に京都に戻り小説家になったが、今まで家賃が20万円もする住居などに住んだことはない、住めない。
しかし、実は木嶋佳苗がこの池袋のマンションに転居したのが2009年の8月、同じ年の9月には逮捕されているので、住んでいた期間は短いのだ。それまでは板橋区に長く住み、その前は目黒区だった。
ル・コルドン・ブルーの料理教室に通い、自伝でもブランド好きをひけらかす女は、なぜ池袋に住んだのか。
木嶋が住んでいたマンションのすぐ近くには池袋警察署がある。ここに越してきた頃には、既に警察にマークされ監視されていたというのに、どういう神経だったのだろう。
木嶋佳苗は、1974年に北海道の中標津に生まれる。祖父は町会議長も務めた司法書士で、名士の子だった。父は行政書士で、祖父の事務所を手伝っていた。木嶋は長女で、下には弟が1人、妹が2人いる。1981年に酪農で知られる別海町へ家族で転居した。
高校生の頃から木嶋は「大人の男の人とホテルを出てきた」などと噂があり、また知人の通帳を盗み金を引き出したとして、窃盗罪で逮捕もされているが、木嶋自身は自伝の中で、当時つきあっていた男に頼まれてやったことで自分は何も知らなかったと書いている。
1993年に上京し目黒区祐天寺に住み、ケンタッキー・フライドチキンに入社するが、2ヶ月後に退社する。木嶋が正規の職に就いていたのは、このわずかな期間だけだ。
翌年、渋谷の道玄坂で男に声をかけられ愛人契約を結び、同時に自ら池袋のデートクラブに足を踏み入れて、ここから男から金をもらっての生活がはじまる。最初にセックスしたときにもらったのは5万円だが、その後、社会的に地位の高い男たちから「最低でも10万円」を得ていた。1996年に東洋大学経済学部二部に合格するが、履修届を出さず、のちに除籍となる。