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船戸与一はがんになってから『満洲国演義』を完結させた

北方 だから大丈夫だという気持ちもあるし、船戸与一は余命1年の宣告を受けてから6年間も生きた。

夢枕 僕も船戸さんのことは励みになりましたよ。がんになってから『満州国演義』を完結させて。

北方 よく考えてみたら、船戸だって小説の神様に守られていたからかもしれない。不思議と『満州国演義』は船戸作品の中でいちばんいいと思っていて、病人が書いた小説とはとても信じられないよなあ。

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夢枕 亡くなられる2日くらい前に、僕のところへ船戸さんから将棋盤が届いたんですよ。以前、集英社の棋翁戦という将棋の勝負で、ある人から「夢枕に勝ったら2000万円の将棋盤をやる」と言われた船戸さんが、「太閤おろし」という凄く卑怯な手で勝って、その将棋盤を手に入れた。あの時のことを反省して贈ってこられたのかと思ったけど、あとで偶然、骨董屋で同じ盤を見つけて値段を見たら15万円だった。

 でも、船戸さんが見せてくれた背中というのは、僕にとって有り難かったです。まだ連載途中のものがいっぱいあるし、それを完結させるまでは死ぬわけにいかない。

『仰天・俳句噺』連載第1回の手書き原稿のFAX

お尻の軽い人は口も軽い

北方 やっぱりがんというのは、本当にガーンと来るだろう。

夢枕 ちょっとやめてください! 北方謙三が言うギャグじゃない(笑)。

北方 最初に「ガーン、私はがんになりました」と書いたのは、川上宗薫さんでしょう。

夢枕 確かに『おれ、ガンだよ』っていうエッセイもありましたけど。

北方 俺が缶詰になる時に使っている、都ホテルを紹介してくれたのが川上さんだったんだけど、ある時、ベッドの上で素っ裸の銀座のホステスが、「川上先生が」って言うんだよ。よくよく聞くと、川上さんは1人1回しか関係をもたないはずが、3回もやったというんで、「これは4回目もあるはずだ。絶対に俺のことを喋るだろう」と嫌な予感がしていたら、ロビーで後ろから肩を叩かれた。振り向いたら、川上さんがいたんだよ。