「私はトキワ荘には男性のまんが家ばかりがいると聞いていたのですが、このように赤塚さんにはお母様が、石森さんにはお姉さまが、また藤子不二夫(ママ)コンビの藤本さん、安孫子さんにもそれぞれお母様やお姉さまが生活のめんどうを見るためにいっしょの部屋に住んでいらしたので男性ばかりの殺風景なアパートではなかったのです」
では、彼女たちはいつ頃、どのようにトキワ荘で暮らしていたのだろうか?
「ピンクのカーディガンを着たとてもかわいらしい女性」がトキワ荘に来た理由
もっとも存在が知られているのが、石森章太郎の姉、小野寺由恵だろう。『愛…しりそめし頃に…』ではトキワ荘のマドンナ的な存在として描かれていた。『トキワ荘の青春』にも登場している(ただし、名前は出ない。演じたのは『ドライブ・マイ・カー』の安部聡子)。
由恵がトキワ荘にやってきたのは、56年(昭和31年)5月15日。石森が新宿区西落合の下宿からトキワ荘に引っ越したのが5月4日だから、わずか11日後ということになる。
安孫子素雄は日記に「ピンクのカーディガンを着たとてもかわいらしい女性」を台所で見かけた後、石森に姉だと紹介されて、二人が帰ってから藤本弘と「へえ! まるで小野寺氏に似てないねえ」と顔を見合わせたと記している(藤子不二雄A『トキワ荘青春日記』より)。
※編集部注:「小野寺氏」は石森章太郎さんのこと
生活能力がまったくなく、西落合の下宿では腐ったサラダを食べて腹痛を起こし、赤塚不二夫に「こいつをこのまま放っといたら、死んじゃう」と思われた石森の生活を支援するためにやってきた由恵だが、彼女の持病だった喘息を東京の病院で診てもらうためでもあった。
3歳上の姉は石森にとって特別な存在だった。厳格な両親に漫画を描くことを反対されていた石森を励まし、応援し続け、漫画家になるために上京する石森を駅まで見送ったのも由恵一人だった。
上京の日、駅まで見送ってくれた由恵を見て、石森は「いつか必ず、姉ちゃんを呼ぶからネ。そしたら、東京の病院で、病気を治せばいい」と心に誓っていた(石ノ森章太郎『章説 トキワ荘の青春』より)。
由恵はトキワ荘にいるときも、交流のあった安孫子に弟の将来を案じて「石森はどうでしょうか?」と尋ねていた。安孫子は「僕らはダメになっても、石森氏だけは大丈夫ですよ」と答えている(藤子不二雄A『81歳 いまだまんが道を…』より)。