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「トキワ荘は男性ばかりの殺風景なアパートではなかったのです」“伝説”のアパートの“ほとんど触れられていない部分”

彼女たちのトキワ荘#1

2022/06/05
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 トキワ荘では石森の住む四畳半の部屋に同居して生活の世話をしていたが、東京の空気が体に合わずに1か月ほどでいったん帰郷。由恵が不在の時期、石森の食事の世話は主に3歳上の赤塚が行っていた。

彼女を襲った突然の発作

 その後、再びトキワ荘にやってきた由恵は、多忙な石森と赤塚の食事の世話を行っていた。『愛…しりそめし頃に…』には、夜食を作っている由恵と満賀道雄(安孫子をモデルにした主人公)が何度も炊事場で出会う場面がある。

 安孫子とは、本を借りるためにたびたび部屋を訪れて交流を深めていた。57年(昭和32年)の夏、トキワ荘の面々で富士五湖めぐりに出かけた際は、上京中だった由恵も同行。『愛…しりそめし頃に…』の12巻には、安孫子と二人でボートに乗る由恵の写真が掲載されている。

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 58年(昭和33年)4月4日、喘息の発作を起こした由恵は、タクシーで病院に運ばれてそのまま入院。姉の容態が落ち着いて安心した石森は、赤塚、水野英子とともに映画を観に行ったが、トキワ荘に帰ったところ、由恵が亡くなったという知らせが届いていた。享年24歳。症状を抑えるためにモルヒネを過剰投与された結果のショック死だった(石森プロ公式サイト「石ノ森章太郎のルーツを探る」より)。

机に向かう石森の背後に由恵の姿が…

 トキワ荘は由恵にとっても青春を過ごした場所だった。ある夜、横で寝ていた弟に好きな男性の名前を告白したことがあったという。トキワ荘に住んでいる漫画家の一人だった(石ノ森章太郎『章説 トキワ荘の青春』より)。「トキワ荘マンガミュージアム」に展示されているトキワ荘図解ジオラマ(作・山本高樹)では、机に向かう石森の背後で洗濯物を畳んでいる由恵の姿を見ることができる。

 ところで、石森が漫画を描くことに反対していた母・カシクも、しばしばトキワ荘にやってきていた。面倒がって洗濯をしなかった石森が、汚れ物を片端から押入れに放り込んでおいたのを偶然上京した母が見つけ、それ以来、2、3か月に一度、洗濯をするためだけに上京していたという。石森は自著で母に深い感謝を捧げている。

「トキワ荘は男性ばかりの殺風景なアパートではなかったのです」“伝説”のアパートの“ほとんど触れられていない部分”

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