なぜ眞子さまは母に反発するのだろうか。
こんなことを言った人がいる。
「2018年の10月でしたが、紀子さまが初めて単独でオランダに行かれたことがありました。当時は『単独で海外訪問』と話題になりましたが、実は出発された23日は眞子さまの誕生日なんです。確かに眞子さまの婚約が延期になって11月に予定していた結婚式もなくなりましたから、なんら問題はないのですが、でもそんな状況のさなかに、それも公務ならともかく、娘の誕生日に私的訪問で海外に行くでしょうか。普通の母親なら長女の誕生日を盛大に祝って励ましてあげますよね。そのあたりの感覚が眞子さまと違うのだと思います」(宮内庁関係者)
あるいは、こうも言う。
「最初は、小室さんのことをこんな素晴らしい方はいないみたいに褒めていらっしゃったのに、小室家の問題が次々と出てくるようになると、紀子さまはふたりの結婚に強硬に反対しているとか、娘の結婚はあきらめたとか、そんな話が聞こえてくるようになりました。結婚をあきらめきれない眞子さんにすれば、最後まで見守ってくれると思った母親に手のひらを返されたのですから、反発するのは当然でしょうね。うかがい知れないことは多々ありますが、そんなことがいくつも重なって、親娘が話し合えない空気がつくられたのでしょう」
「円満な秋篠宮家」は戻ってくるのか?
しかし、こんな母娘の確執はどこの家庭にもよくある話である。それよりも、気になるのは「円満な秋篠宮家」であったはずのご一家に何が起きたのかである。
平成に入って、当時の両陛下にとって初孫である眞子さまが誕生すると、紀子さまは皇太子妃の雅子さま以上にクローズアップされ、続いて次女の佳子さまが誕生すると、ご一家4人の仲睦まじさが伝えられるようになった。それがなぜ、親と娘の確執が囁かれるようになったのだろうか。
「悠仁さまがお生まれになってからではないでしょうか。それまで普通の宮家でいらっしゃったのが、紀子さまは将来の天皇陛下の妻になるだけでなく、天皇陛下の母になることも決まったのです。位人臣(くらいじんしん)を極めるとはこのことかもしれません。悠仁さまご誕生以来、紀子さまは緊張の連続だったことでしょう。悠仁さまのことを『両陛下からお預かりした大切な命』とおっしゃったり、はたから見ると悠仁さまにベタベタでした。悠仁さまが唯一の心の支えではないかと思われたほどです。『皇嗣家にふさわしく』が口ぐせのようになったのはその頃からですね。おそらく眞子さまや佳子さまが反発されたのもそのあたりが根源ではないでしょうか」(前同)
結局、両親の心配をよそに、小室さんとの結婚を翻そうとしない眞子さんに、紀子さまも秋篠宮さまも根負けしたということかもしれない。
では、眞子さんが小室さんとの結婚を強引に押し切ったかといえば、そうではないだろう。ふたりがニューヨークへ出発した11月14日、秋篠宮邸では家族で眞子さんを見送ったが、そのときの秋篠宮さまの表情から、少なくとも親娘関係がこじれたような様子はうかがえない。互いに納得するまで話し合ったような雰囲気だった。
眞子さんにしても、親娘が仲違いしたまま結婚しても、秋篠宮家の後ろ盾なしに一般人として生活していくにはリスクが大きすぎることは承知しているはずだ。たとえ母との関係が元に戻っていなかったとしても、互いに大人なのだから、いずれ紀子さまとの関係も修復されていくはずである。
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