「でも、陛下か上皇さまのだれかが援助するでしょ?」という声もあるようだ。
では、上皇上皇后ご夫妻に支援する余裕はあるだろうか。
そもそも天皇家には「私有財産」がない
そもそも天皇家には基本的に私有財産というものがない。日本国憲法第88条で「すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない」と定められていて、生活費を含めた天皇家を維持する必要経費はすべて国の予算をアテにしているのである。
例えば、天皇ご一家がお住まいになっている皇居は、不動産価値20兆円ともいわれていて、天皇家が所有しているように思われがちだが、実は所有者は国であって、「皇室用財産」として皇族に無償で提供しているにすぎない。那須や葉山の御用邸も同じだ。
戦前の皇室は違った。三井や三菱といった財閥もかなわないほど莫大な財産があり、敗戦後に日本を占領統治したGHQが、実質的に没収することで政治的権力を奪う方針を立てたことは述べたが、そのために日本国憲法の施行によって特別に財産税が課せられ、ほぼ9割が物納というかたちで国に移管されたのである。
昭和天皇のお手元には1500万円の預貯金(現在の価値で数十億円か)だけが私有財産として残された。このお金を「内廷会計基金」に入れ、有価証券などで運用して増やしてきたのである。また、天皇家の私的費用である内廷費が余ればここに戻し、臨時で大きな出費があったときなどに流用してきたようだ。
1959(昭和34)年の皇太子殿下と正田美智子さんの「ご成婚」もそうだ。
詳しくは拙書『美智子さま ご出産秘話』(朝日文庫)を参照していただきたいが、宮内庁はこの日のために、内廷費(天皇の私的生活費)を節約したり、例の1500万円を元手に有価証券で増やしたりしながら、当時の金額で5000万円(現在なら5億円以上か)を貯めたというエピソードがある。国民にはあずかり知らぬことだった。
正田美智子さんが結婚を受諾したとき、皇太子殿下は「柳行李ひとつで来てください」と言ったと伝えられているが、実際は柳行李ひとつどころか、持参した荷物は2000万円とも5000万円とも噂された。もちろん当時のことだから持参金もあっただろう。戦後の天皇家の財布は決して潤沢ではなかったのである。