客席がサーッと引くのが手にとるように分かった
「うちのメンバーのハゲ注が、何とか老骨に鞭打って頑張ってたんですが、ついに刀折れ矢尽きまして、ちょっとお休みをいただきたいということでございます」
いかりやに促され、コントのカツラを脱いだ荒井が、「ひとつ、休ませていただきたいと思います」と、照れながら挨拶した。続いて、タキシードを着た志村が呼び込まれる。新メンバーとして紹介される志村は、ちらちらといかりやの方を見ながら、緊張で顔がこわばっていた。
「休養」と発表されたものの、事実上の「引退」である。翌週からは6人体制でコントを行い、3月30日の生放送を最後に荒井が脱退し、志村が新加入した。忙しい日々から解放された荒井は、海外旅行に出かけ、沼津に引っ込んで毎日釣り三昧の日々を送った。
それから半年後、荒井はプロデューサーの久世光彦(くぜてるひこ)に請われて、TBSドラマ『時間ですよ昭和元年』に出演するが、この時点ではたしかに芸能界から引退するつもりだった。
一方、最年少の加藤ですら30歳を越えていたドリフは、一気に若返った。だが、その日から志村は、何をやってもウケない日々をひたすら苦しみ抜いた。
いつの世も大衆の好みは保守的なもので、観客は新参者を受け入れなかった。荒井の強烈なキャラクターに比べると、その頃の志村は単なる若造にすぎず、定番のギャグもない。舞台上の志村は、自分の登場によって客席がサーッと引くのが手にとるように分かった。だが、もがけばもがくほど、余裕がなくなり、さらに深みへとはまっていった。
のちに荒井は、テレビを通して見た志村を次のように振り返っている。
〈正直言うとね、志村と交代するときオレ心配だったんだよ。ヤツも長い間ドリフの付き人やってたから、自分がどんな役割を演じればいいのかわかってデビューしたんだろうけど、硬かったからねえ、最初は。テレビで見てても“石”みたいだったもんな。オレも心配したけど、志村も大変だったと思うよ、当時は。〉(『ザ・テレビジョン1983年9月23日号)
志村だけではない。ドリフ全体が苦しんでいた。『全員集合』の視聴率は比較的安定していたものの、荒井の抜けた穴をうめるだけの新しい笑いを生み出せずにいた。