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東海道新幹線「のぞみ」の“ナゾの通過駅”「米原」には何がある?

2022/06/20

genre : ニュース, 社会,

 そして米原には江戸時代の初めに米原湊と呼ばれる琵琶湖畔の港が設けられた。彦根藩が命じて作らせたもので、物資の輸送などを行う拠点として賑わったという。かつての旧街道の分かれ目にして物資輸送の拠点の港町。

 そういう歴史を踏まえると、米原はたまたま鉄道の要衝の地になったわけではなく、古くからそういう役割を得るにふさわしい町なのである。

米原駅の「“鉄道の町”だった時代の名残」

 米原駅が開業したのは1889年のこと。いまの東海道本線は、最初は長浜から大津まで琵琶湖を船で渡るルートを辿っていた。それを全線鉄道に切り替えるにあたり、北陸方面(長浜方面)との分岐の駅として設けられたのがはじまりだ。つまり最初から中山道・北国街道の分かれ目という役割を継承していたといっていい。

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 そういった分岐の駅であるがゆえ、駅には広大な操車場や機関区が設けられ、鉄道の町として発展していった。彦根のような城下町ではなく、周囲にはせいぜい古い宿場町があるくらいで土地に余裕があったことがその理由だと考えていいだろう。いまも米原駅の構内は実に広々としているが、それは“鉄道の町”だった時代の名残である。

新幹線のあの「先っちょが伸びた流線型の顔」のベースは「米原」にある?

 米原駅の東口を線路に沿って少し南に行くと、駐車場の脇にめちゃめちゃ広い空き地がある。さらに奥には何やら新幹線の車両らしきものが並んでいる一角もあった。

 鉄道総合技術研究所風洞技術センターといい、簡単にいえば鉄道車両が受ける空気抵抗について研究する施設だ。新幹線といえば先っちょが伸びた流線型の顔が印象的だが、そういった研究もこの米原で行われたものがベースにあるのだろう。

 

 この風洞技術センターの脇にはレーシングカーでおなじみの童夢、さらに奥にはヤンマーの中央研究所があって、いずれもすべてかつての鉄道用地を転用したものだ。

 となると、空き地の行く末がどうなるのかが気になるところ。もちろん再開発の計画があって、2023年には商業施設なども入った再開発プロジェクトが完成するのだそうだ。そうなれば、米原駅ももう“何もない”などとはいえなくなる。

 いや、もちろん歴史を遡ればずっと長い間、いまに至るまで米原は交通上の要衝であり続けてきた。街道や鉄道だけでなく、町の東側には名神高速道路と北陸自動車道が分かれる米原ジャンクションがある。日本の東西を、そして北陸を目指す人は米原を避けて通ることは許されない。

 琵琶湖畔の何もない駅も、それだけで大いに価値がある。何かがあるかないか、それだけで駅と町を語ってはいけないということなのである。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。

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