エンディングでは、いつも最後にいかりやが「次の回も一生懸命がんばります。ごきげんよう」と力強く言っていたが、それはなかった。代わりに、立ち位置を離れてふざける加藤と志村を目にして、いかりやが微笑み、正面を向いて一礼して終わる。言葉こそないが、それがドリフのリーダーいかりや長介による最後の挨拶だった。
雪の日に志村がいかりやの自宅を訪れてから、35年が経過していた。そのとき36歳だったいかりやは72歳に、18歳だった志村は53歳になった。その間、蜜月の師弟関係を築いていた時期もあれば、「共演NG」だった時期もある。互いの不仲がささやかれてからは、もう20年だ。『全員集合』が終了してからは、二人はグループを離れた場所で、ドリフと違う立場を経験してきた。
2000年前後、二人の発言内容も変わってくる…
いかりやは俳優の仕事をするなかで、はじめて一人のメンバーになった。これまではドリフのリーダーとして、ずっとグループの全責任を背負ってきた。だが、映画やドラマの現場では、監督や演出家に身を任せられる。上手くいかなくても、自分一人が悩まなくていい。誰かに頼れるということが、とても新鮮だった。
また、共演する俳優同士で横のつながりが生まれた。いかりやは語る。「メンバーってのはいいなと思ったのは、同次元でメンバー同士でぐちをこぼしたりできるんですね」(『person』2002年4月号)。
志村は『だいじょうぶだぁ』以降、番組の全責任を背負うリーダーになった。共演者とスタッフをまとめ、あらゆる場面で決断していかなければならない。対等に相談できる相手はなく、いつも孤独だった。志村はリーダーの資質について問われたとき、次のように答えている。「まず忍耐。それから心を込めてやっていればいつかは通じる、わかってくれるってこと」(『地上』2006年4月号)。
いかりやと志村は互いの立場に立つことで、分かりあえる部分が生まれたのではないか。2000年前後になると、二人の発言内容も変わってきた。
いかりやは当初からドリフを素人集団だと公言してきた。クレイジーキャッツと比べて、才能がある人間は一人もいない。だからこそ、必死になって稽古を重ね、チームワークの笑いに徹してきた。いかりやは自身についても次のように語る。
「“喜劇人”とか“喜劇役者”とかいう言い方があるけど、僕はそれでもない。そういう名称の人はもうちょっと上手です(笑)」(『女性自身』2000年12月5日号)。
いかりやの徹底した自己卑下には、彼のパーソナリティもあるだろうが、その源流をたどると、敗戦後の東京で青春時代を送れなかった悔恨に行き着くと思う。
だが、志村については、1999年に行われた阿川佐和子(あがわさわこ)との対談で次のように語った。