(「1泊1700円の宿に1カ月間滞在――日雇い労働者で溢れていた山谷の街をルポする」から続く)

空き缶拾いとスカイツリー

 山谷を南北に走る吉野通りから徒歩数分の玉姫公園には現在、路上生活者約10人が寝泊まりしている。ブルーシートでこしらえた小屋の前で、白髪交じりのぼさぼさ頭をした男性がたばこをふかしていたので話し掛けてみた。小屋の前には粗大ゴミで拾ったソファ、空き缶が大量に入ったゴミ袋を積んだ台車が並ぶ。その男性、岡田豊さん(仮名、60代)は、日に焼けているせいか色黒で、歯はぼろぼろ。上下黒のジャージを着ていた。

「ここにはまともな人間はいないよ。毎日将棋かパチンコやっているだけ。たまに競馬。俺も馬券は買いに行きますよ。過去に何もなきゃこんな状況になんないよね」

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 路上生活者たちの「来し方」については聞かない、という不文律があるのだが、岡田さんは何となく話し始めたので耳を傾けてみた。

路上生活者も多い「いろは商店街」のアーケード ©水谷竹秀

 それによると、玉姫公園に流れ着いたのは今から6年ほど前。長年続けていたトラック運転手を事情があって辞め、上野公園での路上生活を経て現在に至るという。

「運送屋の所長を頭にきて殴っちゃったんだよ。自分の持ち場以外のコースも走れって言われて、ふざけんじゃねえよ!って。それから上野へ来てずうっと青カン(路上生活の意)だよ。その後は福島で除染の仕事もやったし、路上生活者に声を掛けてアパートに入居させ、生活保護を受けさせる手配師もやった」

 岡田さんに結婚歴はあるそうだが、子供はいない。両親はすでに他界、兄弟とは長年音信不通という。

「家族の話はしたくない。玉姫公園にいる人たちは身の上話はほとんどしないよ。したって意味がない。そんなことよりは明日の生活のことを話すね。今のところ俺は福祉(生活保護の意)をもらう気はないから。食い扶持は自分で稼ぐよ」

 そう言い切る岡田さんは、週に数日、土建業者から直接受ける日雇い仕事に従事し、あいた時間帯には空き缶拾いに出掛ける。たまに玉姫労働出張所から輪番制で回ってくる公園清掃も行う。1カ月の給与を尋ねると「多い時は15万円ぐらいだけど少ない時は半分ぐらい」という。

 生活保護受給者から路上生活者に転身する人の大半は、受給によって滞在先の施設のルールに縛られたり、あるいは区の担当者から就労を促されたりといった「制約」に耐えられないのが理由だ。

 ある晩、私は岡田さんの空き缶拾いに同行させてもらった。現場はソープ街吉原に近い千束通り周辺で、指定されたパチンコ屋に午後8時に到着すると、岡田さんはすでに額に汗を浮かべて待っていた。

「今日はあんまり空き缶が出ていないね。夜出すのか朝出すのか分かんないからね。もう30分ぐらい回ったよ。これで3キロぐらいかな」

 傍らに置かれた自転車の籠には空き缶がいっぱい入っていた。

 空き缶は路上に設置されたプラスチックの回収箱から集める。対象はアルミ缶だけ。業者が買い取ってくれる単価は1キロ約130円だ。台東区は、空き缶などの資源物持ち去りを取り締まる条例がない。

「走っていると、追い掛けて持ってきてくれる住民もいます。空き缶が出される場所も頭に入っているので、そこを中心に回れば集まります。あそこにいるのがスーパースターです。この辺で空き缶拾いの名人と言われている人です」

 岡田さんが指さす方向に、自転車をゆっくり漕いで走り去っていく男性の後ろ姿が見えた。確かに集めている空き缶の量が多い。

©水谷竹秀

 私は岡田さんについて千束通りの路地を回った。回収箱を見つけては中を確認するのだが、スーパースターなど「同業者」も活動中のため、空っぽになっている回収箱が多い。それでも一つずつ確認し、入っていない場合でも岡田さんは付近のゴミ袋をあさって「見つけた!」と言っては籠に詰めていた。しばらく続けると、前と後ろの籠が空き缶でさらにいっぱいになり、私たちは公園で休憩した。夜空に向かって真っ直ぐ伸びるスカイツリーが、ほのかに青白く輝いているのが遠くに見えた。

 岡田さんはたばこを片手に、カフェオレを飲みながらこう口にした。

「今度拾う場所は玉姫公園周辺。地元だから、他の人には負けてられないです」

 翌朝7時、玉姫公園を出発した岡田さんは、空き缶を積んだ台車を押し、15分ほど歩いて隅田川のほとりに到着した。道路沿いにはすでに、空き缶がいっぱいになったゴミ袋が並んでいた。間もなく、2トントラックが目の前に止まり、運転席から回収業者が降りてきた。路上生活者たちは、空き缶の重さを量り、業者から現金と缶コーヒーを手渡される。岡田さんは合計35・3キロ、支給額は4589円だった。