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《目黒区5歳女児虐待死事件の真相》「ゆるしてください、おねがいします。ほんとうにもう、おなじことはしません」 なぜ両親は娘を凄まじい“虐待死”に追い込んだのか?

《目黒区5歳女児虐待死事件の真相》「ゆるしてください、おねがいします。ほんとうにもう、おなじことはしません」 なぜ両親は娘を凄まじい“虐待死”に追い込んだのか?

『日影のこえ メディアが伝えない重大事件のもう一つの真実』より #3

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高松のキャバクラで出会い結婚、上京

 そこへ意外な声がかかる。香川県高松市のキャバクラに勤める大学時代の知人からの、人手が足りないから手伝ってほしいというオファーである。雄大は誘いに乗り、高松へ。のちに妻になる8歳年下の優里は、この店のキャバ嬢だった。

 高松市から電車で1時間ほどの善通寺市。中心街から少し外れた山間に離れや納屋を備えた日本家屋が並ぶ地域で、優里は4人兄妹の末っ子として生まれ育った。

「あの家は、ちょっと。なんというか、ここらの田舎からしたら浮世離れしているというか、そんな感じの家かな」

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 近くで畑仕事に精を出していた好々爺が話すように、周囲の聞き込みで知り得た彼女の家庭環境は決して良くはなかった。元自衛官の父親は厳格で、子供を叱りつける声が四六時中、長閑な地域に響いていたという。親族の中には大麻で逮捕された者もいたようで、「あまり付き合いたくはない」と語る住民もいた。

 それでも優里は田舎の子供らしい快活さを持ち、中学ではソフトボールに明け暮れ、地元の高校に進学。19歳、卒業してからすぐに、地元の同級生との間に子供を身籠り出産した。それが虐待被害にあった結愛だ。

我が子を虐待死に追いやった船戸優里

 若い2人の結婚生活は早々に破綻した。のちの裁判で彼女自身の口から「夫の経済力やDVが原因」だと語られている。離婚後、結愛を引き取り、生活のため水商売の世界へ。雄大と出会うのは20歳のときだ。それまで地方都市から出たことのなかった彼女は、東京で暮らし社会経験も豊富な雄大に夢中になった。すぐに寝食を共にする仲に発展し、結愛も雄大のことを「お兄ちゃん」と呼び慕った。やがて優里が雄大の子供を身籠り、2人は親の反対を押し切り結婚。2015年12月のことだ。(#4に続く)

日影のこえ メディアが伝えない重大事件のもう一つの真実

高木瑞穂 ,You Tube「日影のこえ」取材班

鉄人社

2022年6月24日 発売

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。

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