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「やらせてちょうだい」 缶チューハイ片手に男が踊り子に声をかけていた横浜最後のストリップ劇場「黄金劇場」の風景

『裏横浜 グレーな世界とその痕跡』より#2

2022/06/14

genre : ライフ, 歴史, 社会

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ガンを患った老人カンジイの宝物

 劇場に足繁く通ってくるのは、もちろんタコちゃんだけではなかった。私が取材を始める5年前に肺がんを患い、それにもかかわらず劇場に通い続け、踊り子たちからガンと爺さんをくっつけて、ガンジーならぬガンジイと呼ばれる老人がいた。

 ガンジイは、本人が意識しているかどうか知らないが、反英独立闘争で知られるインドの英雄ガンジーと同じような丸メガネをかけ、雰囲気はガンジーに似ていなくもない。

 ガンを患いながらも劇場に通ったこの人に、是非とも話を聞いてみたいと思い、劇場の入り口にある待合室でガンジイに話を聞いた。

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 昭和8年の生まれだというガンジイがストリップ劇場へ通うきっかけは何だったのだろうか。ガンジイというコミカルなニックネームとは裏腹に、本人からは実直な雰囲気が漂っている。ガンジイが落ち着いた口調で、劇場へと通いはじめた理由を話してくれた。

※写真はイメージ ©iStock.com

「14年前に心筋梗塞をやりましてね。8年前ぐらいからさらに体の具合が悪くなって、5年前にガンだとわかったんです。それまで、ソープランドなどの風俗にも行ったことがなかった。心筋梗塞になったあと、このまま死ぬのは嫌だなと思って、何でもしてやれという気持ちになってストリップ劇場に通うようになったんですよ」

「ガンが発症した時は劇場に通っていた?」

「そうだね。直径40ミリの、かなり進行していた肺ガンだった。手術の前々日まで劇場に通ったよ。手術前最後の日は、ママと劇場の看板女優と一緒に写真を撮ったんだよ。それがお守りがわり。心が優しくて強い子たちだから、これ以上のお守りはないんじゃないの。家族には内緒で携帯に保存して病院に持って行ったんだよ。手術を終えて、麻酔から覚めたらさ、部屋に誰もいなかったんだよ。最初に見たのが、その写真。それを見ていたら元気が出て来てね。この劇場に命を救ってもらったようなもんなんだよ」

 ガンジイは、今もその写真をガラケーの中に保存していた。宝物だという。劇場は、彼にとって命を支える場所でもあった。