タコちゃんの「やらせてちょうだい」
客が普段より少しばかり多い土曜日には、踊り子のパンティーをプレゼントする企画が行われていたのだが、タコちゃんはパンティーをもらうと、おもちゃをプレゼントされた子どものような嬉しそうな顔をした。もらったパンティーを被っていたこともあった。
「やらせてちょうだい」
受付にいる島根に用があって楽屋からやって来た踊り子に対して、タコちゃんは必ずそう声をかけていた。踊り子たちは、「何を言ってんのよ」と、冗談だと思いまったく取り合ってもいなかったが、ふと見ると、タコちゃんの目は笑っていないような気がした。
私はその言葉を聞くたびに、酒を飲み続けることによって、命を削りながら心の底に溜まった澱を吐き出す、タコちゃんの魂の叫びのような気がして、ドキリとした。
糖尿病で酒も止められていたのだが、入院中でもタコちゃんはこっそり病院を抜け出し、京浜急行に乗って劇場へ通っていたこともあった。彼にとってこの時代から取り残され、忘れ去られようとしている劇場は、生きがいなどではなく、世間の奔流に流されないように必死にしがみついてる杭のようにも見えた。
劇場の外で、タコちゃんがどんな姿を見せるのかが気になって、ストーカーそのものだが、後をつけたことがあった。千鳥足のタコちゃんが向かったのは、劇場から歩いて5分もかからない場所にある古本屋だった。店の外から覗いてみると、彼が脇目もふらず向かったのは、店の奥にあるカーテンで仕切られたスペースだった。そこはアダルトビデオが陳列されているコーナーだった。
私は、その場面を目撃した時、「やらせてちょうだい」というタコちゃんの言葉が頭の中に響いた。心の中に日常では秘めているどうにもならない性的な欲望が、酒の力で増し、劇場という非日常空間で吐き出される。劇場でも始末しきれない欲望はアダルトビデオで発散する。
タコの吸盤のように粘着質のどろどろとした叫びが、タコちゃんの「やらせてちょうだい」という言葉なのだと思った。