赤レンガ倉庫、みなとみらいが港沿いに広がる洗練された街・横浜。異国情緒あふれる中華街に、スポーツファンで溢れる横浜スタジアムもあり、有数の観光スポットでもある。しかし、その歴史を紐解くと、売春や麻薬、ストリップ劇業に革命家の隠れ家といったカオスな日常があった――。ノンフィクション作家・八木澤高明氏の新著『裏横浜 グレーな世界とその痕跡』(ちくま新書)から一部を抜粋して転載する。(全2回の2回目/前編を読む)
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横浜のストリップ「黄金劇場」
黄金劇場のママは島根和子という元ストリッパーの女性だった。訪ねた日は、部屋を借りて2カ月ほどが過ぎた夏の昼下がりだった。
ストリップ劇場へは、写真週刊誌のカメラマン時代に足を運んだことがあったが、あくまでも編集部からの依頼であり、お膳立てされた取材だった。自分の意思で訪ねるのは、初めてのことだ。それゆえに、少々緊張していた。挨拶もそこそこに「ぜひ、数年にわたって取材したい」と申し出ると、
「あぁ、ええよ。好きに撮って」
島根はこちらが拍子抜けするほどあっさりと、了承してくれたのだった。
黄金劇場を取材していく中で、踊り子やお客さん、劇場主の島根など、多くの関係者にインタビューした。
劇場での取材で、特に私が興味を持ったのが、お客さんや劇場の裏方さん、劇場主といった人々である。というのは、踊り子に関する記事は、スポーツ新聞や雑誌などで取り上げられることはあるが、いまあげた人々というのは、大手を振って通う場所ではないストリップ劇場との関わりを公言したがらない。彼らの声というのは、こちらが聞き出そうという強い意思を持って臨まないと聞くことはできないのだ。
通い始めてみると、黄金劇場はいつも閑古鳥が鳴いていた。満員になったのは見たことがなかった。指折数えられるほどの客しかいなかった。
劇場に通って来る客は、一癖も二癖もある人物ばかりだった。その中のひとりにタコちゃんと呼ばれていた風采の上がらない中年の男性がいた。小太りで、メガネをかけて、頭は丸坊主、女性にモテるような雰囲気はなかった。
タコちゃんはいつも缶チューハイを片手に劇場にやって来て、観覧中も缶チューハイを手放さない。劇場に入る前から千鳥足で、いつも酔っぱらっていた。私は酔っ払っていないタコちゃんを見たことがなかった。