日本での支援を考える際に、海外の事例はまったく参考にならないということだ。手探りの状態で今なお支援を行っていることを、阿部氏はこう話す。
「今でも実習みたいな感じですよ。とにかくお話を聞いて、みたいな。はじめの頃はね、本当に何をやって良いのかすらわからない状態だった。海外の場合はこうだとか言ってもしょうがないから、今困っている人がいる、どうしよう、ということを考えながらやってきた。『与える』とか『教える』ではなくて、一緒に荷物を持つみたいな感じですよね」
「普通の家族」が落とし穴
阿部氏はこれまで、家族間で発生した殺人事件について、多くの著書を出版している。そこには、殺人犯を生み出す家庭がいかに「一般家庭」「中流家庭」だったかが繰り返し書かれている。
実際、「秋葉原無差別殺傷事件」の加藤も、9人を殺傷した「土浦連続殺傷事件」の金川真大も、「東海道新幹線車内殺傷事件」の小島一朗も、無差別殺傷犯の育った家庭の多くは、両親が揃っており、マイホームがあり、父も真面目に働いていた。
では、「普通の家庭」とは何なのか。
「難しいんですけど、何が普通かもちょっとよくわからなくなってきて……。結構ひどい家庭なのに、子どもはまともに育っているところもあるじゃないですか。加害者のお母さんを見ていると、確かにこのかかわり方はあまり良くないよねっていうのはあるけど、でもすごくひどいお母さんかっていうとそうでもない。もっとひどいお母さんがいないわけじゃないと、思うんですよ。『誰にでもあるんじゃない?』っていう範疇。だから受け手であるお子さんの感受性の強さとか、いろんな弱いところがあって、コミュニケーションがうまくいかなかったりする。だから家庭内に『悪人がいる』みたいな感じでは全然ないんです。普通の人で、その悪い部分がたまたま引き合っちゃったみたいに私は考えている」
確かに子育ての負担は、母に集中する家庭が多い。また親と子にも相性があり、同じ兄弟でも性格はそれぞれ違う。そして完璧な家庭などどこにもない。だとしたら、すべての家庭が犯罪者予備軍を抱えているということなのか。
「多くの加害者家族の方は、非常に常識的な人なんですよ。私より全然、真面目だなと思ったりして。逆に言うと、ちょっと常識にこだわりすぎる。世の中にある、ある種の多数派についていくタイプというか。たぶん、普通の生き方をしていれば不幸にはならないっていう思い込みがあると思うんですよ。みんながやっているところについていったら、悪いことはないだろうという。でも私は逆に、そこに落とし穴があるような気がしています」