昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2022/06/20

“不倫会見”の成功と失敗を分けるのは…

小柳 いままでも不倫の会見ってたくさんあったけど、うまく答えた方もいますもんね。円楽さんなんて「いやいや、もう東京湾から出た船みたいなもんですよ。航海(後悔)の真っただ中」なんて、さすがにお見事で。

平野 円楽さんはそれができるキャラだけど、東出さんはそれはできないものねぇ。でももう少しだけ答えようがあったんじゃないかって思いましたけれど。所属事務所の対応とかでも、いろいろと変わりますよね。

小柳 そう! 例えばベッキーさんの騒動のときの最初の会見(2016年1月)。あのときにも事務所でやったけれど、「質問はしないでください。マイクも持たないでください」って最初に言われちゃった。

 でもそう言われても私たちはマイクを持つ。出さなくても持つんです。だって「ベッキーさんが入ってきました、こんな面持ちです」ってリポートはとらなきゃいけないから。そしたら本当に一言だけ喋って帰ってしまった。

©文藝春秋 撮影/深野未季

平野 ああいうのはザワつくわよね。結局、そのあと私たちは追いかけなきゃいけなくなるし、ベッキーさんは追いかけられてしまう。大手の事務所としては失敗なんじゃないかしらって。

小柳 あれはしないほうがよかった会見かもしれないですね。そういえばアンジャッシュの渡部建さんの時(2020年12月)もタイヘンだったでしょ。

イマドキ会見の大変さ「配信の生中継が…」

平野 私、会見に行ってるんですよ。あのときには事務所サイドで仕切る人がいなかった。渡部さんが喋るのを止めに入る人がいないので際限なく聞かれてしまって……。しかもイマドキで、配信の生中継が入ってたんですよ。

小柳 そうするとね、もうぜーんぶ流れてしまうから。

平野 そうなの。私たちの感覚だと、ちゃんとルールのある会見をさらに編集したものが番組で流れる。それが変わってきたことに時代を感じますよね。コロナ禍での「密」の防止もあるし。

©文藝春秋 撮影/深野未季

――時代の変遷のお話のために、まずおふたりはどうやってリポーターになられたのか教えてください。

平野 私は、宮崎放送のアナウンサーを、「出身が宮崎でもないのにこのままここにいるのかなぁ」なんて思いつつ6年やったあと、なんのツテもないまま東京に来ました。「おはようナイスデイ」(フジテレビ系・1982~1999年)が始まった翌年のことです。そんなとき姉から「早苗ちゃん、ナイスデイのリポーター募集してるよ」って教えてもらって、応募して合格しました。たしかオーディションでは小舟にだれか乗ってるような写真を見せられて、喋るテストでしたね。同期は7人いましたけれど、もう残ってるひとはいませんね……。

 はじめての現場は、有馬稲子さんの舞台の会見取材。何聞いたかは覚えてないんですけれど、3つ4つ質問だけはして局に戻ったら、「よくできたね」って褒められて。それで「これくらいだったらできるかも!」って(笑)。地方局にいたらありえない大女優の取材は緊張もしましたね。

z