平野 映像や言葉のチェックが増えたんですね。例えばリポートでも、事件関係者の名前を出すパターンと出さないパターンの2種類だとか、背景に住宅が映るパターンと映らないパターンを2種類撮っておいて、局の上層部の判断にゆだねる――、とかね。
小柳 やっぱりそういう厳しさがなかった頃のほうが、芸能人や事件関係者の口も軽やかだったように思っちゃいますね。
直接取材した強烈な“大事件の容疑者”
平野 事件現場を振り返ると、「よく喋る人物は要注意!」って思いますね。例えば私は、出身地で起きた「秋田児童連続殺害事件」(2006年発生・2009年無期懲役確定)の畠山鈴香受刑囚。自分の娘と、近所の男の子に手をかけておきながら、連日報道陣の取材には「探してください」とよく喋っていたでしょう。
小柳 「本庄保険金殺人事件」(1999年発覚・2008年死刑確定)の八木茂死刑囚もすごかったわよね。私は一報のときに取材に行きましたが、自分が経営するスナックで取材陣から会費をとって喋りまくるんです。彼のオンステージ状態。でも事件は3人の男性に愛人を使って「毒物」を飲ませた、というものだったから、スナックで出される飲み物をどうするのかっていう躊躇が取材陣みんなにありましたよね。
平野 そしてやっぱり強烈だったのは、「和歌山カレー事件」(1998年発生・2009年死刑確定)の林眞須美死刑囚です。非常に長く続く現場でした。当初、林死刑囚はピンポンを押せばちゃんと話すし、そのうちに部屋にも上げて貰い話を聞いたりーー。そう、あのときもアイスコーヒーを出して貰ったけど、飲む怖さと、飲まなきゃ失礼かもという逡巡があったんですよ、飲みましたけどね。
「よく喋る人物は要注意!」
小柳 最初は「ヒ素」なんて言葉と林死刑囚のイメージなんてぜんぜん繋がらなかった。
平野 そうそう。でも次第に報道もヒートアップして、彼女もまっすぐ家に入って報道陣に答えないようになってきたんです。
小柳 でもある時電話を入れて単独インタビューを申し込んだら、OKが出たんですね。近所に場所を借りて、そこに夫妻で来られて。
取材慣れしてるなと思ったのは、もうアレだけテレビにも雑誌にも顔は出ていたのに、そのインタビューのときには「映すのは首から下にして」、と。でも林死刑囚はひとつのことを聞けば10答える、という感じで非常によく喋ったのを覚えています。
平野 まさに、「よく喋る人物は要注意!」ですよね。芸能人には、よく喋ってもらえるのはありがたいですけれど……。
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