昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

創られた「車椅子生活」

 ロッドは妊娠を機にディーディーとの結婚を決意するが、ジプシーが生まれる直前に離婚。ディーディーはシングルマザーとしてジプシーを育てることとなる。

 不運はつづく。ジプシーが生まれて3ケ月ほど経った頃、彼女に「睡眠時無呼吸症候群」の症状があることが医師から告げられた。さらにジプシーが8歳になる頃には、筋ジストロフィーのため自らの力で立つことができず、車椅子生活を余儀なくされること、白血病や喘息、聴覚障害、視覚障害を患っていることなどが次々と明らかになる。――しかし。結論から言えば、これらはすべて、ディーディーのでっち上げだった。

 毎日のように別々の病院で診察を受ける日々のなか、時にはディーディーが説明する数々の症状に対して疑問を抱く医者もいたが、もともと看護師をしていた彼女は医学の知識が豊富で、万全の理論武装をしていた。

 そのため医師も必要以上の検査を行なうことがなく、ディーディーの意のままに診断が確定。彼女の目的は、それによって得られる公的支援であった。

 何も知らない担当者は一様に哀れみの目を彼女たちに向け、それに対してディーディーは気丈に、明るく振る舞うことで、信頼と評価を勝ち得ていた。

 給付金を目当てに必要のない薬をジプシーに飲ませ、意味のない手術を行ない、体にチューブを埋め込み、そして薬の副作用があるかのように髪の毛を剃り上げたディーディー。

 多くの同情と支援を集めたジプシーの車椅子生活は、完全に創られたものだったのだ。

外の世界に興味を持ち始めたジプシー

 こうして思い描いた通りの生活を手にしていたディーディーだったが、計算外のことがあった。それは、娘の成長である。

 ジプシーはいつの頃からか、自分が本当は歩けることや、チューブを使わなくても食事ができることを理解していた。しかし、それを母に伝えると何をされるかわからないと察して、生きるために歩けないふりをし、されるがままに頭髪を剃られていた。

 たまに公衆の面前で、かりそめのストーリーに合わない発言をしようものなら、ディーディーはジプシーの手をきつく握り、警告を発した。

 そうした“失態”があった日の晩は、決まってお仕置きが待っていた。ジプシーをベッドに縛り付け、ハンガーで殴りつけるなど、人知れず続く虐待。

 父親のロッドはそんな事実はつゆ知らず、多くの病魔に侵される実の娘に対し、毎月1200ドルの養育費を送金しつづけていた。これはジプシーが18歳になり、養育費の負担義務を終えてからも続けられたというから、ロッドの愛情と慈悲深さが窺える。

 ところが、ディーディーは周囲に対してここでも噓をつく。周囲に対しては「夫からは何の援助もない」と語り、ジプシーに対しては「あなたの父親は家庭内暴力を振るう酷い奴だったよ」と偽りの父親像を刷り込んだ。