15歳で祖父母を射殺、社会に戻ってからは女子学生を中心に8人の命を奪った凶悪犯「エドモンド・ケンパー」とはどんな人物だったのか?
犯罪大国アメリカで実際に起きた凶悪殺人事件の真相に迫る、同名の犯罪ドキュメンタリー番組を書籍化した『トゥルー・クライム アメリカ殺人鬼ファイル』(平山夢明監修)より一部抜粋してお届けする。(全3回の1回目/#2、#3を読む)
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不幸の始まりは「父親の家出」だった
カリフォルニア州バーバンクで電気技師として働くエドモンド・エミール・ケンパー2世のもとに、待望の長男が誕生したのは1948年12月18日のことだった。
夫妻の喜びを表すかのように、「エドモンド・エミール・ケンパー3世」と命名された長男。5歳上の長女と、やがて誕生した2歳年下の次女を含めた5人家族の生活は、にぎやかで幸せなものをイメージさせるかもしれない。
しかし実際は、決して心の休まることのない、不穏な日々の連続だったという。なぜなら、母親であるクラーネルは情緒が不安定で感情の制御が利かず、それゆえ夫婦喧嘩が絶えなかったからだ。
ケンパー3世(以下、ケンパー)が7歳になった頃、そんな日常に音を上げた父親が、ついに妻と子供たちを残して家を出て行ってしまう。これが本当の不幸の始まりだった。
父親が去った後、一家はモンタナ州に移住。ケンパーは幼心に「父に見放された」との絶望を深く抱き、情緒の落ち着かない母親のもとで、鬱屈した日常を送ることになる。
クラーネルはアルコールに溺れ、家庭は荒むばかり。彼女はやがて、3人の子供のうちケンパーはいつか、2人の娘を襲うのではないか――。どこか陰気な息子を見て、そんな疑心暗鬼に駆られたクラーネルは、夜になるとケンパーだけを暗い地下室へ連れて行き、そこで眠るよう命じたのである。
真っ暗な地下室で毎夜、独りぼっちで朝を待つことになったケンパー。学校でのケンパーはおとなしい性格の持ち主であったと言われるが、それもこうした家庭での扱いにより、心を閉ざしていったからなのかもしれない。ケンパーだけを虐待するようになった。