最初の殺人
1964年8月27日のことだ。些細なきっかけから、ケンパーは祖母と口論になった。
ライフルを持って狩りに出ようとするケンパーに対し、祖母が「鳥は撃ってはいけないよ」と話しかけたことが、彼には口喧しく感じられたようだ。
言い争いが始まるのを傍らで見ていた祖父だが、「いつものことさ」と意に介すことなく、場を諫めることもなく買い物に出かけてしまった。
やがて「思春期の男の子が考えることはわからないわ……」と、吐き捨てるように台所へ戻っていった祖母。ここで、ケンパーに何らかのスイッチが入ったのだろう。彼はライフルを持って庭へ出ると、窓越しに祖母を背後から撃ち抜き、さらにその後、台所にあった肉切り包丁で滅多刺しにする。
これが、自身初の殺人であった。後にケンパーはこの時の心境について、こう述懐している。
「祖母を殺すと、どういう感情になるか試したかったんだ」
ケンパーは血みどろの祖母を寝室のベッドに運び込むと、祖父の帰りを待った。
祖母の亡骸を見て、祖父は何と言うだろうか。当然、祖父は驚き、失望し、そして彼を激しく𠮟責するはずだ。
そう考えたケンパーは、祖父が買い物から戻るのを待ち、次の殺人の準備にかかった。ほどなくして帰ってきた祖父がトラックの荷台から荷物を降ろしているところを、彼は躊躇なく銃撃する。
ケンパーは祖父の死体をクローゼットに隠した後、怒りの感情が払拭されたところで自責の念に駆られたようだ。すぐに母親のクラーネルに電話をかけ、自分の犯した罪を涙ながらに報告している。
そして自ら警察に電話をかけ、逮捕されることとなったのだ。
収容期間はわずか5年
身長195cm、体重72.5kgという堂々たる体軀ながら、この時点でケンパーはまだ15歳。少年裁判所は、一連の殺人を精神障害による犯罪と認定した。
そのため通常の刑務所ではなく、精神疾患が認められた犯罪者が収容される、アタスカデロ州立病院への送致が決定。そこでケンパーは、約5年の年月を過ごし、再び社会に放たれることとなる。
精神に闇を抱えていても、IQ145とも言われる天才的な頭脳を持つケンパーにとって、精神鑑定で恣意的に模範解答をはじき出すことなど造作もなかったに違いない。事実、彼は後に「精神テストでは自分に都合のいい鑑定結果が出るよう、答えを操作していた」と語っている。