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 出所にあたっては、カリフォルニア州サンタクルーズで大学職員として働いていたクラーネルが身元引受人となった。再び、母のもとで暮らし始めたケンパー。この時、彼の肉体は身長約2m、体重130kg超とさらに大きく成長しており、地元のバーでは「ビッグ・エド」の渾名を授かっていたという。

 一方、母親との関係は日増しに悪化していく。そもそも心の奥底では恨みを抱いていた相手なのだ。

「毎日だらだらして。そんなんだから友達もろくにできないのよ」「本当に辛気臭い子ね。お父さんにそっくりだわ」「あなたみたいな人殺しを息子に持って、私の人生は台無しよ」

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2人の女子学生は殺害後、慰み者に…

 クラーネルからそう毎日のように言われるうち、鳴りを潜めていた狂気がむくむくと頭をもたげ始める。

 1972年5月7日。カリフォルニア州の高速道路局で働き始めていたケンパーは、ヒッチハイクをしている2人の女子学生を見つけ、にこやかに車に招き入れた。

 仕事柄、周辺で人通りの少ない場所に精通していた彼は、彼女たちが求めるルートを大きく外れ、雑木林に入っていく。そして――。

 彼女たちが身に迫る危険に気づいた時には、もう遅かった。

 一方の女性に手錠をかけ、もう一方の女性をトランクに閉じ込めたケンパーは、あらかじめ用意していた刃物で2人を何度も刺し、最後は首を絞めて絶命させた。

 2人分の死体をトランクに押し込んだケンパーは、その帰りの道中、警察に呼び止められている。

 ところがこの時、警察官はケンパーの車のテールランプが壊れていることを指摘するだけで、立ち去ってしまった。よもや、トランクに血みどろの死体が2つ積まれているとは、夢にも思わなかったことだろう。

 こうした悪運の強さに箍が外れたか、その後も同様の手口で犯行を重ねていくケンパー。手頃な女性ヒッチハイカーを見つけては車に乗せ、ナイフで体を刻み、首を絞め上げ、絶命後は屍姦してとことん弄んだ。

 極めつけは、頭部だけを切断して持ち帰り、母親の寝室を仰ぎ見るような角度で庭に埋めていたことだろう。

 その理由について彼は、いつも人目を気にしていた母親へのあてつけであることを明かしている。1年間で6人が犠牲となり、サンタクルーズの街は恐怖に怯えた。絶え間なく続く恐怖に、時のサンタクルーズ地区検事は我が街を「世界一の殺人の都」と表現したほどだ。