昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

ケンパーと妹が楽しんだ「奇妙な遊び」

 やがて、そんな彼の明らかな奇行が目に付くようになる。最も象徴的なのが12歳頃に行なっていたという“ガス室遊び”である。これは妹に「死刑執行人役」を演じさせ、目隠しをした自分が死刑囚を演じるという奇妙な遊びだ。

 妹に連れられて椅子に座ったケンパーが、カタカタと椅子を震わせて恐怖に怯える様子を演じる。そして妹がレバーを引く仕草を見せると、今度は毒ガスによって悶え苦しむ様子を見せる。この演技は、彼が息絶えるシーンまで続いた。

 ガス室遊びは次第にエスカレートし、悶え苦しむプロセスで、我を忘れたかのように妹の人形を切り刻んだこともあった。

 自らの死を演じ、人形を相手にした疑似殺人を愉しむ。そんな奇行の矛先は生身の動物にも向かっていた。飼っていた1匹の猫を生き埋めにして殺めたのは、彼が10歳の時だった。

 こうなると、命を殺めることへの衝動は止まらない。13歳になる頃には、ナイフで猫を刺し殺すようになっていた。

 もしかするとケンパーは、そんな秘めた狂気がやがて実母であるクラーネルに向かうことを恐れていたのかもしれない。15歳の時、ケンパーは自らクラーネルのもとを離れ、父親の家に身を寄せている。

 しかし、すでに再婚して新たな家庭を築いていた父親は彼を歓迎しなかった。父親はケンパーを祖父母のもとへ連れて行き、そのまま置き去りにしてしまう。つまり、彼はまたしても父親に見捨てられたのだ。

 これが、さらなる悲劇の引き金となる。

 ケンパーの祖父母は、カリフォルニア州ノースフォークで農業を営んでいた。

 祖父母からすれば、突然やってきた陰気な雰囲気を纏う孫を、どう扱ったものかさぞ戸惑ったことだろう。それでも、いつも不機嫌そうな顔をしているケンパーの様子を、15歳という多感な時期ゆえのものと優しく受け止めようとしたようだ。

 たとえばそれは、祖父がケンパーにライフル銃を譲り渡したことからも窺える。ライフルの引き金を引けば、少しは気晴らしになるのではないかと考えたのだろう。