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「完璧な人生だった」年収1000万超えのアメリカ人が少年33人の命を奪う“殺人ピエロ”に堕ちるまで

『トゥルークライム アメリカ殺人鬼ファイル』 #3

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 ゲイシーの日常は続いた。

 1972年に再婚。経営する建設会社の業績は右肩上がりで、彼の年収もすでに、以前、フランチャイズの飲食店を経営していた頃を超えていた。

 仕事が増えれば、従業員も増やさなければならない。ゲイシーは従業員の多くを高校生など若い男性で構成した。

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 そして、しばしば従業員を自宅に招いては、金銭的な援助をチラつかせてセックスを持ちかけていた。

 他方では、ボランティア活動にも積極的に参加していた。ゲイシーは「ポゴ」や「パッチ」というピエロのキャラクターを創り出して、小児病棟に入院する子供たちの前や、チャリティイベントでパフォーマンスを披露した。

 そしてその水面下でゲイシーは、活発に殺人を楽しむようになっていた――。

33人もの少年を殺害

 1976年から1978年にかけての約3年間、ゲイシーは主に10代の青年をあの手この手で家に連れて帰り、手錠で身動きが取れない状態にしてレイプする所業を繰り返していた。

 1975年の2度目の離婚も彼に拍車をかけ、アルコールやドラッグの摂取量は激的に増えていたという。

 その手口は決まっていて、ピエロの話題を持ち出して、手錠のパフォーマンスを披露するというものだった。

 最初に自分に手錠をかけさせ、指の間に隠し持っていたカギで脱出して見せる。驚く相手に、「どうやって抜け出すのか教えてあげよう」といって手錠をかける、という寸法だ。

 そして強制的な性行為を楽しんだ後は、布を巻き付けたり、紐と棒を使ったりして、獲物の首をゆっくりと絞め上げていく。

 さらに、ゲイシーはその遺体を次々に自宅の敷地内に埋めている。スペースがなくなってからは、遺体を川に廃棄するなど、犯行は次第に大胆になっていた。

 ゲイシーが最後の獲物と出会ったのは、1978年12月11日のことである。

 ターゲットとなったのは、ゲイシーの会社の面接を受けにきた、15歳のロバート・ピエストだった。ゲイシーはひと目で彼を見初めたのだろう。

 果たして、ロバートはいつもの手口の餌食となり、33人目の犠牲者となってしまう。