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小保方晴子やベッキーも…秘書・瀬尾まなほが語る、瀬戸内寂聴が“世間から叩かれている人に手を差し伸べた理由”とは

瀬尾まなほさんインタビュー#2

2022/07/02
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 2021年11月、99歳でこの世を去った瀬戸内寂聴さん。作家として、僧侶として国民的に愛された寂聴さんを10年間そばで支えてきたのが、66歳年下の秘書・瀬尾まなほさんだ。

 出産したばかりの第二子を抱え、お母さんとともに上京していた瀬尾さんに、瀬戸内さんとの“なれそめ”から聞いた。

瀬尾さん提供

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「不安のあまりお風呂場で一人泣きました」

――大学卒業後の2011年から寂聴さんのもとで働かれているそうですが、秘書になった経緯を教えて下さい。

瀬尾まなほさん(以降、瀬尾) お茶屋でアルバイトをしていた友人の紹介で面接に行ったのがきっかけでした。

 といっても面接らしい面接は何もなく、ただ1時間楽しくおしゃべりして終わり。私自身、「セトウチジャクチョウ……? あのお坊さん?」くらいの認識だったので、ある意味、なんの恐れもなかったからよかったのかもしれません(笑)。

――寂聴さんによる面接に合格して、新卒で「有限会社・寂」の社員となったわけですね。会社には課長とか部長といった役職はあるんですか。

瀬尾 ないです。社員も今は2名だけですし。私は必ずコピー用紙は裏紙を使うのですが、それをはじめて見た瀬戸内は「つつましくて関心だ」と褒めてくれました(笑)

 以前はもう少しスタッフがいたのですが、売上のすべてが瀬戸内の腕一本にかかっていることや、働いていた方も高齢だったこともあり、2013年に4人の職員が退職したんです。

©山元茂樹/文藝春秋

――瀬尾さんはまだ寂聴さんのもとで働きはじめたばかりですよね。ベテランスタッフがいなくなる不安も大きかったのではないでしょうか。

瀬尾 当時私は25歳、瀬戸内のもとで働きだして3年目でした。瀬戸内という偉大な作家を私一人で支えられるのか、不安のあまりお風呂場で一人泣きました。

 ただ、これまでスタッフの方にやってもらっていた食事の支度や旅行の準備など、すべてを2人でこなすことで絆が深まり、「二人三脚でやっていこう」と肚をくくれたんです。瀬戸内はこの騒動を寂庵の「春の革命」と名付けていました。