――『ふるあめりかに袖はぬらさじ』は、もともと有吉佐和子さんが文学座の杉村春子さんのために書き下ろし、1972年に初演された戯曲です。
玉三郎 初めて拝見したのは、初演の翌年、国立小劇場でした。有吉先生の世の中を俯瞰する洞察力は感じるんですが、それを芝居上は言わないところに、私はものすごく感銘を受けた。笑いで話を転がしていきながら、日本の有り様の真髄を突いている。
この芝居は、「海の向こうって、どんなところなんだろう」と思いながら、外に出られず死んでいく人達の話だと思うんです。勤王だ、佐幕だと騒ぐ男達だって、アメリカのことを何もわかっていやしない。ましてや、亀遊は借金があって廓の外にさえ出られない。だけど想い人の藤吉は英語を喋って、海の向こうへ行こうとしている。お園は「そういう志を持っている人にとっちゃ、女なんて生きていく目的の二の次、三の次なんだから」とはっきり言う。それでいながら、お園もまったく外に出られない。日本は今も海の外では活躍できない人が多いわよね。そこを有吉さんが見て、書いている。
「これが僕にとっての地獄なのかな」
――雪之丞さんは『与話情浮名横櫛』にも出ることになっていましたが、緑郎さんのお名前は、演目変更後、突然発表されて驚きました。
緑郎 お声がけいただいて、私もびっくりしたんです。新派入団以来8年ぶりですから。最初は演目を聞かされていなかったので、「やったことないお芝居だったらどうしよう」ともうドキドキして。
雪之丞 新派に移籍した私たちが歌舞伎座に出ることは死ぬまでないと思っておりました。いま一番にあるのは、嬉しさと有り難いという気持ちです。若旦那はさらっとおっしゃるけど、誰かに「うん」と言わせるっていうことの大変さがなかったはずがありません。
緑郎 私たちはそれを忘れちゃいけないですよね。
雪之丞 しかも今回は本当にほとんどの新派の俳優さん、女優さんを呼んでいただいてるんです。
玉三郎 私は澤瀉屋さんの具合が悪くなった後、この二人がどうやって生きていくのかしらと、とても気がかりだったんです。新派に移籍したのも私は客観的に見てきたので、二人のためにも歌舞伎、新派という枠を外していけたらと思うんです。
緑郎 昔、若旦那が「役者は地獄を見なきゃダメだよ」という言葉をくださいました。新派に移籍をして二年ぐらい経ってからですかね、ある日、ふっとその言葉が出てきて。やはり、僕と雪之丞ではまだまだ思っているものができないので。
玉三郎 わかります。
緑郎 そういうものが毎日毎日枷になって苦しくて、でもこれ乗り越えないとな、これがたぶん若旦那が仰った地獄、僕にとっての地獄なのかな、というのは常に考えていました。