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「役者は地獄を見なきゃダメだよ」坂東玉三郎の言葉を喜多村緑郎、河合雪之丞がいま噛みしめる理由

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 いま「六月大歌舞伎」第3部が評判を呼んでいる。

 もともとは片岡仁左衛門と坂東玉三郎による『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』が予定されていたが、5月半ばに仁左衛門が帯状疱疹の発症により休演に。6月2日の初日までわずか半月という中、玉三郎の主役はそのままに、歌舞伎と新派の合同で、有吉佐和子原作『ふるあめりかに袖はぬらさじ』に演目差し替えと決まった。

 そして迎えた初日。3時間余の観劇を終えて、歌舞伎座を後にする人々が口にしたのは「凄いものを見た」という感想。まるでこの時代のために書き下ろされたかのような題材で、玉三郎が幕末の動乱を生き抜く芸者お園をいきいきと演じている。

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「枠があるところには、私は土足で踏み込むのよ(笑)」と自らのモットーを説明する玉三郎が、いま新派と組んだ『ふるあめりかに袖はぬらさじ』で伝えたいこととは? 玉三郎がこの演目のために自ら声をかけた、新派の喜多村緑郎、河合雪之丞の二人と語り合った。

左より、河合雪之丞、坂東玉三郎、喜多村緑郎

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読み書きできない遊女が辞世の句を遺したことに

――『ふるあめりかに袖はぬらさじ』は、幕末という、世の中の仕組みも価値観もガラリと変わった時代のお話です。コロナでエンターテイメントが大きく影響を受ける中、今年に入って戦争まで始まった。これを今、上演することには運命のようなものも感じます。

玉三郎 そうですね。松嶋屋さんが体調をお崩しになられて、松竹から、泉鏡花先生の『日本橋』なのか有吉佐和子先生の『ふるあめりか』なのか、ちょっと雰囲気の変わった演目にしたいとお話があったんです。ただ今やるなら、笑いのある『ふるあめりか』のほうがいいんじゃないかと。

 これは有吉先生が1970年代という、日本が政治的にも経済的にも大きな変化を迎えていた時代に書かれた“幕末もの”ですけど、今の日本にもまったく同じことが当てはまると思うんです。

芸者お園は1988年以来、玉三郎が上演を重ねる当たり役

 舞台は、開港まもない幕末の横浜。遊郭「岩亀楼」の遊女・亀遊(河合雪之丞)は、外国人客の通辞を務める藤吉(中村福之助)と恋仲だったが、アメリカ人客イルウスに身請けを申し込まれ、世を儚んで自害する。吉原時代から亀遊とは馴染みの芸者お園(坂東玉三郎)は、その一部始終を目撃していた。

お園(坂東玉三郎)は亀遊(河合雪之丞)と通辞・藤吉(中村福之助)の仲を見守っていたが…

 しかし「万金を積まれてもアメリカ人への身請けを断り自害した攘夷女郎」と、事実を歪曲した瓦版が評判に。読み書きのできない亀遊が“露をだにいとふ倭の女郎花 ふるあめりかに袖はぬらさじ”なる辞世の句まで残したことになっていた。事実を正そうとしたお園も、気づけば嘘に嘘を重ねて、三味線を手に攘夷女郎の物語を勇ましく語る名物芸者に――。

岩亀楼の主人(中村鴈治郎)とお園(坂東玉三郎)は嘘を重ねていく

 そんなある日、攘夷派の志士、思誠塾岡田(喜多村緑郎)が塾生達と岩亀楼にやって来る。