ライバル買収でのし上がるファイザー。佐藤健太郎氏による記事を一部公開します。(「文藝春秋」2022年7月号より))
◆◆◆
5年ぶりに世界一の製薬企業に
ここ1年半ほど、ファイザーという企業名を、新聞やテレビで見ない日はなかった。新型コロナウイルスに対する切り札として登場したファイザー製ワクチン(開発元は独・ビオンテック社)は、その優れた効能から世界で争奪戦を巻き起こした。この原稿の執筆時点で、感染者数は世界的に見てピークを超えつつあるが、この状況にワクチンが大きく貢献していることは疑いを容れない。
ワクチンの売上は、2021年だけで368億ドル(約4兆2300億円)。総売上は前年からほぼ倍増の813億ドル(約9兆3600億円)となり、ファイザーは5年ぶりに世界一の製薬企業に返り咲いた。
だがコロナ禍以前、ファイザーという会社の日本における知名度は、決して高くなかったのではないだろうか。世界初の勃起不全治療薬バイアグラで話題をさらったのも、すでに20年以上前のことだ。
ただし製薬業界に関心のある方なら、ファイザーは他企業の買収を繰り返す帝国主義的経営戦略から、批判の多い企業であることもご存知だろう。何しろ、1990年には世界14位の中堅企業であったものが、強引な買収戦略によって20年で売上を20倍以上に伸ばし、世界首位にのし上がった会社だ。少なくとも、あまりに特殊な米国の製薬業界の事情を一身に詰め込んだような存在には違いない。本稿では、その発展の歴史と、ワクチン開発に至るまでの事情を追いかけてみたい。
ペニシリンの量産に成功
1848年、現在のドイツ南部にあるルートヴィヒスブルクで育った2人の若者が海を渡った。彼らの名は、チャールズ・ファイザーとチャールズ・エアハルト。従兄弟同士の2人のチャールズは、チャンスを求めて米国にやってきたのだ。
彼らは翌年ニューヨークのブルックリンに、チャールズ・ファイザー&カンパニー・インクを設立した(この社名は1970年にファイザー・インクと改められるが、以下本稿では単に「ファイザー」と記す)。