当初は駆虫剤などを商っていたが、1880年からクエン酸の取り扱いを開始する。クエン酸はコカ・コーラなどの酸味料として用いられ、ファイザーの主力製品に成長した。1919年には、発酵によって砂糖からのクエン酸製造に成功。発酵技術を手にしたことは、ファイザーにとって大きな飛躍の礎石となった。
ファイザーが研究開発型の製薬企業へと脱皮するきっかけになったのは、第二次世界大戦であった。ガス壊疽えそや破傷風など、戦地における兵士の感染症は大きな問題であり、第一次世界大戦での戦病死者は合計200万人に上ったともいわれる。これを防ぎうる抗生物質ペニシリンはすでに1928年に発見されていたが、その不安定さから量産化は困難とされていた。
ファイザーは米国政府の呼びかけに応えてこの課題に取り組み、深底タンクでアオカビを培養することによって、予想の5倍ものペニシリンを得ることに成功した。1944年6月のノルマンディー上陸作戦で、連合軍が携行したペニシリンの9割がファイザー製であったといわれる。ペニシリンは期待に応え、戦病死者を大幅に減らすことに貢献した。
戦後には、新たな抗生物質テラマイシンを発見。広範囲の細菌に有効なこの薬は大ヒットし、同社が世界へ販路を広げるきっかけとなった。
この頃まで、医薬探索は効果のありそうなものを手当たり次第に探すという、偶然に頼った方法で行われてきた。しかし1970年代からは、疾患のメカニズムをもとに、合理的に医薬化合物を設計し、新たに創り出す時代が到来した。今までは医薬の治療対象ではなかった疾患にも、次々と新薬が登場するようになる。
製薬各社が狙ったのは、高血圧や糖尿病など、いわゆる生活習慣病の薬だ。いうまでもなく、これらは患者数が多い上、長期間にわたって服用し続ける必要があるため、製薬企業にとっては大きな利益が見込める。これにより、年間10億ドル以上を売り上げる超大型医薬(ブロックバスター)が登場し始めたのだ。このことが、製薬業界に巨大な再編の波をもたらすことになる。
製薬ブロックバスターの登場
1995年からの15年間の製薬業界を一言で表すなら、合併に次ぐ合併の時代であったといえる。世界の製薬企業が次々に国境を超えた合併を繰り返し、各社は見る間に規模を拡大していった。