野性的なプレースタイルに、とにかく心が躍る。昨季途中、ロッテからトレードで移籍してきた中日・加藤翔平外野手。真っ赤なバッティング手袋、光沢のあるローリングスのバットには、こだわりのグリップテープがしっかり巻き付けられている。クラシックスタイルのソックスと両耳のヘルメットは、もはや背番号52の代名詞といってもいい。
スタメンで名を連ねることはほぼない。しかし、試合終盤になると軽快にダイヤモンドへ姿を現す。プロ10年目の今季は、ここまで33試合に出場(6月30日現在)。主に、守備固めと代走がメインだが、4月30日の広島戦(バンテリンD)では、値千金の決勝打。本拠地で、初めてお立ち台に上がった。最近は成長著しい3年目・岡林勇希とのコンビも徐々に注目され、2人のリクエストにより、コンビ名「#かとばやし」を採用させていただいた。
ユニホームという戦闘服を着れば、プロ野球選手・加藤翔平だが、普段は心優しい翔平パパ。試合でどんなに夜が遅くなろうが、翌朝7時半までには必ず起きて、長男の幼稚園登園に合わせてテレビ電話をする。千葉と名古屋。1年間、家族離ればなれの生活で、唯一穏やかに過ごせる時間だ。加藤家の中でドラゴンズはポピュラーなものになっており、長男が初めて覚えた選手は「オカバヤピ」こと岡林だったそうだ。詳細は伏せるが、ロッテ時代に鳥谷敬氏から聞いた教育論は加藤家でも浸透。2人の子を持つ記者も、思わず実践してみたくなった。
昨年から名古屋で一人暮らしをしている。埼玉・加須市出身で、大学も群馬・上武大学。主に関東圏で育ったこともあり、東海地方には知人も皆無。コロナ禍で、すっかり出無精になってしまった。家では、ヨギボーに身を委ねながらYouTubeを見たり、翌日の対戦相手の映像をチェック。6月にキャリーケースを新調するため栄に出かけたのが「初めての外出と言っていい」と笑った。背番号60の密告により、スタバ好きも判明。「加藤さん、名古屋の家を探すとき、近くにスタバあるかが絶対条件だったらしいですよ(笑)」(岡林談)。ちなみに、加藤がよくコーヒーをテイクアウトするスタバでは、息をひそめながらコーヒーを楽しむ高松渡の姿を目撃するらしいが、声はかけずそっと立ち去ることにしている。
不安が消えなかったシーズンオフ
昨年6月に中日へやってきた。ロッテの新人時代と同じく、セ・リーグでの初打席でも初球を豪快にスタンドへたたき込み、ど派手に“デビュー”した。昨季は55試合に出場。スタメンも何度か張り、キャリアハイの8盗塁と存在感もみせた。しかし、どこか不安な気持ちのまま、シーズンが終わった。果たして自分は何が求められているのか? 立ち位置が分からなかった。
立浪新政権へと移行したが、年齢的なこともあってか中堅メンバーが秋季キャンプのメンバーに呼ばれず、自主トレ組としてオフの調整を任された。加藤はこう振り返る。「新監督が来てキャンプメンバーは必死にアピールしている。こっちは移籍してきて、いつクビと言われてもおかしくない。12月、1月のオフ期間もずっと不安で、気持ちは宙ぶらりんだった」。
2月の沖縄キャンプも2軍・読谷スタート。不安と戦い続ける職業ゆえ、不安は当然消えなかったが、まずは目の前の野球に全力で取り組んだ。先輩の大野奨、堂上、福田、平田が必死にボールを追いかけ、ルーキーの星野や味谷、福元らが目を輝かせバットを振る姿に、負けていられなかった。波留コーチ、中村豊コーチからは「老け込むなよ! 老け込まなかったら、もう一回花を咲かせられる」とゲキを飛ばされ、アメリカンノックの洗礼を受け、下半身をいじめ抜いた。オープン戦から1軍に呼ばれると、2022年の初打席で初アーチを放つなど、アピールに成功。開幕メンバー入りを果たした。