「《いとしのエリー》がなければ、後のサザンはなかったと思う。サザンがなければ、日本のロック史も、まったく違う方向に向かっただろう」──1979年に発表されたサザンオールスターズ3作目のシングル曲『いとしのエリー』の歌詞に見た、桑田佳祐の凄みとは?
音楽評論家・スージー鈴木氏が、桑田佳祐の作詞した曲26作品を厳選、徹底分析した新刊『桑田佳祐論』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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「エリー my love so sweet」
前年のデビュー曲《勝手にシンドバッド》と、続くシングル《気分しだいで責めないで》のインパクトが強すぎて、コミックバンド的に捉えられがちだった(そして、その傾向をメンバー自ら楽しんでいるフシもあった)サザンを、一段上に押し上げた3枚目のシングル。
これは大げさに言うわけではなく本気で、《いとしのエリー》がなければ、後のサザンはなかったと思う。サザンがなければ、日本のロック史も、まったく違う方向に向かっただろう。
拙著『1979年の歌謡曲』(彩流社)で私はこう書いた──「日本ロック史の最重要人物が、最重要人物になるキッカケを作った最重要な曲」。めっぽうクドい形容だが、盛っているつもりはない。では、当の桑田佳祐は、当時どう思っていたのか。
で、作ったのよ、一所懸命。やっぱりビートルズが歌うみたいな曲を俺も歌いたいと思ったし。俺たちが本音でやりたい音楽ってのはこういうのなんだって見せたい気持ってあるじゃない、やっぱり。(桑田佳祐『ロックの子』講談社)
コミックバンドからビートルズへという、180度の劇的な転換(ビートルズにもコミックバンド性があったという点については、ひとまず措く)。コミックバンドと見られていた時代に、桑田佳祐の中に鬱積し続けたものがそうさせたのだろう。
そんな《いとしのエリー》のコア・フレーズは曲の中で頻繁に繰り返される「♪エリー my love so sweet」である。
ポイントは、英語の使い方が、何というか洋楽的なところである。口語的と言い換えてもいい。つまり洋楽が血肉化した日本人にしか書けない/歌えないフレーズ。
1979年、私は中学1年生だった。当時買った学習雑誌に、ヒット曲の英語フレーズを和訳するという記事があり、その中で、「♪エリー my love so sweet」とゴダイゴ《ビューティフル・ネーム》(1979年)の「♪Every child has a beautiful name」が取り上げられていた。
《ビューティフル・ネーム》の方には、「everyを使った場合、動詞は三人称単数のhasとなる」などの、もっともらしい解説が付いていたのだが、《いとしのエリー》の方は、ひどくシンプルな直訳で「エリーは私の恋人、とても可愛い」と添えられていたように記憶している。
それを読んで、中1の私は「サザンの方が洋楽っぽい、ロックっぽいんだな」「あのコミックバンドのようなバンドの桑田佳祐という人は、洋楽が血肉化しているんだな」と直感したのである。