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桑田佳祐「俺たちが本音でやりたい音楽ってのはこういうのなんだ」…コミックバンド扱いのサザンを格上げした「いとしのエリー」の凄み

『桑田佳祐論』 #1

2022/07/02
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《いとしのエリー》の初披露は、桑田佳祐23歳の誕生日を目前にした1979年の2月20日に日本武道館で行われた、FM東京(当時)『小室等の音楽夜話』の放送1000回記念コンサート。そのときの音源を私は持っているが、おそらくコミックバンド性を要求していた客席と《いとしのエリー》とのギャップが激しく、あまり反応は良くなくシーンとしている。

 しかしその静かな客席に耳を澄ませてみると、しっかりと聴こえてくるのだ。日本のロック史がググッと動いていく音が。

曲調は「うっすらレゲエ」

「笑ってもっとbaby むじゃきにon my mind」

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 桑田佳祐本人が言うように、《いとしのエリー》を作る上でのモチベーションとして、ビートルズへの憧れがあったと思う。ただし、だからと言って「まんまビートルズ」にならないのが、若き桑田佳祐の一筋縄では行かないところだ。

 注目するのは、「♪笑ってもっとbaby」から始まるBメロ(サビ)である。ビートルズ《サムシング》風に静かなAメロに対して、リズムが躍動的になる。具体的に言えば、少しレゲエっぽくなる。

 言わば「うっすらレゲエ」。特にベースの動き方と、後拍が強調されたギターのカッティングは、明らかにレゲエを意識したものと言える。

 レゲエは当時、最先端としてもてはやされていたリズム。レゲエ界を代表する音楽家と言えばボブ・マーリー。《いとしのエリー》発売直後の1979年4月には、ザ・ウェイラーズを率いて来日公演も行っている。

 当時中1の私は、背伸びして雑誌『POPEYE』をたまに立ち読みしていたのだが、「今、レゲエが面白い」「パンクは終わった。これからはレゲエだ」的な文脈で、大々的に紹介されていたのを思い出す。

 ただし《いとしのエリー》の「うっすらレゲエ」の原典は、「こってりレゲエ」のボブ・マーリーと言うよりも、同じく「うっすらレゲエ」であるイーグルス《ホテル・カリフォルニア》(1976年)などのように思われるのだけれど。

 余談だが、『1979年の歌謡曲』で私は、チューリップの傑作《虹とスニーカーの頃》が「うっすらレゲエ」で、同じくイーグルスの影響が強いと断じた。70年代後半、ビートルズからの影響を一旦咀嚼したニューミュージック勢に影響が強かった洋楽を3つ挙げるとすれば、イーグルス、ボストン、クイーンである。