いま日本映画界を第一線で支える映画監督たちには、8ミリ映画を自主制作し、才能を見出され、商業映画にデビューした者たちが少なくない。そんな監督たちに自主映画時代を振り返ってもらう好評インタビュー・シリーズの第11弾は、緒方明監督。九州の映画青年が突然放り込まれた石井聰亙組の壮絶な現場のエピソードからインタビューは始まった。(全4回の1回目/2回目に続く) 

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 1980年のPFF(ぴあフィルムフェスティバル)で『東京白菜関K者』を見た時の衝撃は忘れられない。朝起きたら白菜になっていた、という不条理な話をパワフルに描くこの作品の監督は石井聰亙監督一派だと知って納得した記憶がある。その緒方明監督の商業映画デビュー作品『独立少年合唱団』は打って変わって静謐な青春映画だった。緒方監督が体験した石井組のこと、『東京白菜関K者』の裏話、フリーの助監督やCM、テレビのディレクターを経て40歳で映画監督デビューするまでの話をいろいろお聞きした。

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緒方明監督 ©藍河兼一

おがた・あきら 1959年佐賀県生まれ。福岡大学在学中に石井岳龍(聰亙)監督と出会い、助監督を務める。80年『東京白菜関K者』でPFF入選。高橋伴明、大森一樹の助監督を経て、2000年『独立少年合唱団』で劇場映画デビューし、ベルリン国際映画祭新人監督賞ほか数多くの賞を受賞。05年『いつか読書する日』でモントリオール映画祭審査員特別賞。その他主な映画作品に『饗宴~重松清「愛妻日記」より』『その山を崩せ』(06年)、『のんちゃんのり弁』(09年)、『友だちと歩こう』(14年)など。最新作は故・大森一樹監督の企画を受け継いだ『幕末ヒポクラテスたち』(26年公開予定)。

スターだった大森一樹監督との出会い

――どうして8ミリ映画を撮ろうと思ったんですか?

緒方明(以下緒方) 高校3年の夏休みに、僕は『クイズグランプリ』(フジテレビ系)の全国高校生大会に出場することになりまして。3人1組で佐賀県代表として当時河田町にあったフジテレビに行くわけですよ。交通費と宿泊費をもらって。初めての東京ですから、興奮して3人で前乗りしているわけですよね。他の2人は東京タワーや浅草に行ったりするんですけれど、僕は映画を観たくてしょうがなかったんです。

 佐賀では見れない映画がいっぱいあって。前もって佐賀まで『ぴあ』を取り寄せたんです。ビックリしたのが、自主上映のページが存在したこと。その中に、ぴあ主催のビデオ上映会があった。それが『暗くなるまで待てない!』(注1)の上映会で、そこに大森さんがいらっしゃったんです。観客は7~8人しかいなくて、その頃僕にとっては大森一樹はスターでしたから、興奮しちゃって。ぴあで出版した『MAKING OF オレンジロード急行』という本を売るためのイベントだったんですけど。当然それも買って、サインをもらって、「僕も映画撮りたいんです」と佐賀の田舎者の少年がほっぺたを真っ赤にして、大森さんは「おお、頑張りや」とか言って。