――素晴らしい。
緒方 すごいですよね。その翌日か翌々日に、「取りあえずカメラテストをやるのでお堀端の公園に来てくれる?」とか言って、パネルにアルミ箔を貼ってレフ板を作ったり男2~5人で準備をやって。で、「本当に来るんやろうか」と言っていた時に、「あっ、本当に来た」って、向こうからずーっとその女の子が自転車でやってくる、その景色は今でも覚えてるな。
――青春映画ですね(笑)。
緒方 あの本当に短い期間だけ『Single8』なんですよ。美しい青春が宿ってました。そんなものは高校卒業してダイナマイトプロに入ると見事に打ち砕かれるんですけれども(笑)。
石井聰亙監督と出会い、上京
緒方 4月に大学に入って博多の街歩いてたら、「石井聰亙凱旋8ミリ上映会」のチラシが電柱に貼ってあって、すぐ主催の自主上映団体に電話して「上映会を手伝いたいんですけど」と言ったら、「じゃあ一緒にやりましょう」となって。「石井が今帰ってきてますから」うわ、石井聰亙いるんだ、と思って。
ちょうど石井さんは免許を取りに帰ってきていたんです。9月に『狂い咲きサンダーロード』を撮るので、自分で運転するつもりだったんでしょうね。実際運転もしてましたけど。その8ミリの上映会で石井さんからいろいろ考え方を教わりました。全部自分でやるんだと。「自主映画というのは、チケット1枚売ったら500円か600円で、ラーメン1杯食えるだろ。そういうことなんだよ、緒方」みたいなことを、最初は優しく教えてくれました。だんだん厳しくなっていくんですけど。
――石井さんは既に日活で『高校大パニック』を撮った後ですよね。
緒方 そうそう。日活では、ご本人も言ってらっしゃると思うけど、忸怩たる思いというかね。共同監督で何もやらせてもらえなかったという思いがあったんでしょうね。
そんな頃、「僕も映画監督になりたいんです」みたいな話すると、「学校なんか行くな。俺の弟子になれ」と言われて。「俺は日本映画に革命を起こす。俺が全部変えてやる。今の日本映画は全部クソだ」みたいなことサラリと言うんですよね。大言壮語ですよね。ビックリしますよね。なんてカッコいいんだと思っちゃいました(笑)。
僕は当然狂映舎のたくさんのお兄さんたちの下っ端として働けばいいんだろうなと思ったけど、行ってみるとスタッフは誰もいないと。「お前だけだ。お前、チーフ助監督だ」「エーッ」という感じで。3~4カ月前まで高校生で、「カチンコって何のために打つの?」みたいに言っているような何の段取りも知らない人間が石井さんの助手になって、地獄の半年が始まるわけです。
