――その上映会の前に大森さんの作品は見ていたんですか?

緒方 『オレンジロード急行』はその年、1978年の4月29日公開なんですよ。だから、その時既に大森一樹はスターでした。あの年、4月に松竹は『オレンジロード急行』、夏に日活で石井聰亙監督の『高校大パニック』という2本がトントンと来ているわけですよね。共に興行的にも批評的にも失敗するんですけれども、とはいうものの、やっぱりものすごいことが起きているなと。

『オレンジロード急行』制作発表での大森一樹監督(1978年2月) 提供:共同通信社

 松竹映画で『オレンジロード急行』の予告編では山根成之監督がレポーターみたいに出てきて、「今、日本映画でとんでもないことが起きています」と言って、次に大森さんの顔のアップになって「よーい、スタート」と言って、それがかっこよくてね。だから、監督がスターになっているわけですよね。それはちょっと驚きました。石井さんは共同監督ではありましたけれども弱冠21歳ぐらいで日活の中で「暴力こそがわれわれの表現手段だ」みたいなことを言いながら映画を撮っているのがかっこよかったですよね。単純にそれに対する憧れですよね。

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――それで自分でも撮ろうと?

緒方 そうそう。あれが人生を変えたんですよね。夏休みに東京に行って、帰ってきた時にはもう映画を撮る気満々になってますから。

第一作は青春映画で、現場も青春だった

緒方 高3ですから受験勉強しないといけないんですけど、受験勉強をしていたら映画が撮れなくなると思ったので、先生に言って推薦入学にしてもらって。一応佐賀の進学校でしたから、推薦だと無試験で行ける大学があって、「そこに行きます」と。推薦を決めると2学期から3月まで暇になるんですよ。だから、その間にバイトしてお金をためて、2月3月で8ミリ映画を撮りました。その8ミリ映画の顛末は、まんま『Single8』(注2)でしたね。

――そうですか(笑)。

緒方 うちの高校は、女子がすごい少ないんですよね。一学年450人いて、女子は50人ぐらいしかいないんですよ。だから、あんまり女性の友達はいないけど青春映画でヒロインは出てくるんです。今考えたらほんとバカなんですけど、仲間うちで勝手にオーディションをやるわけですよ。

©藍河兼一

――呼んで?

緒方 呼ばない、呼べない。知らないから。その50人ぐらいの女子の名前を全部書いて、甲子園みたいにトーナメント。A子さんとB子さん、「これどう思う?」「それはA子だろ」「いや、B子のほうがよくない?」って。バカですよね。そうやってやっていって、一番最後に残った女子が「主演女優だ」って。でも誰がどう口説くのよとなって、「それは緒方、お前が監督なんだから、お前が口説くに決まってる」「え~。俺、話したことないよ」「監督ってそういうものだろ」ということで、放課後に女子クラスに行って、その女の子…A子さんと言いましょう。「A子さんいますか?」と言ったら、「A子さん、なんか男の人が来てるよ」って、「こんにちは。僕、緒方と言います」「はぁ」「映画に出てもらいたいんですけれども。あなたが1位になりましたので、映画に出て」って。もうコントみたいなやりとりですね。彼女が「なんで私なの?」とか聞くわけですよ。その時、いまだに覚えているんですけど、「だってあなた、きれいじゃないですか」って俺は言ってるんです。自分でも驚きました。映画ってこういうことが言えるんだ、と思った。それで、何がすごいって、その女の子が「うん、分かった。出る」ってその場で言うんですよね。