30歳代はテレビ『驚きももの木20世紀』などのディレクターを務めていた緒方明監督。そこから自然と映画の企画が立ち上がってきた。40歳での商業映画監督デビュー作となる『独立少年合唱団』(2000年)はこうして始まった。(全4回の4回目/最初から読む)
◆◆◆
40歳で商業映画監督デビュー
――映画の企画はどのように始まったんですか?
緒方 『驚きももの木20世紀』というのは、20世紀に起きたいろんな出来事や事件や人物を検証していくという番組なんですよね。それで時代を描くということにだんだん興味が出てきた時に、ノンフィクションだけじゃ描けないということに気づくわけです。それはなぜかというと、時代の先端にいた人ではなく、時代の後ろにいた人たちも時代を作っているだろうと。戦争を始めた人だけではなく、戦争に駆り出された人たちもいるわけだし、映画ならその人を主役に作れるだろうという発想なんです。だから、70年代というもの、何回も『驚きももの木』でやった時代、学生運動があったり、ベトナム戦争があったり、フラワームーブメントがあったりという時代を、自分のことと重ね合わせて、当時中学生だった人間たちは何を感じていたんだろう、みたいなことを青木研次と話し始めて、「それは映画じゃないとできないよね」と始まったのが、『独立少年合唱団』なんです。
――その内容から映画だったんですね。
緒方 そうですね。「映画を作ろう」ではなくて、「僕たちは何をやるべきなのか」みたいなことで。仕事を休んで2人でシナハンとして北海道の外れにある全寮制の学校を見に行ったりしてました。青木さんは日大芸術学部の脚本コースですから、そういう脚本を書くのには飢えていたと思うので、それがうまくはまったということでしょうね。その脚本が上がって石井(聰亙)さんに相談したら、「じゃあ、仙頭を紹介するよ」と当時イケイケだった仙頭武則(注1)を紹介してくれて、「この条件ぐらいだったらできるんじゃない?」と。まあ、ちょっと予算的に大幅にカットしなきゃいけない部分はあったんですけど、「これでやってみる? 緒方さん」となって。「喜んで」という。
