「泣かせ文句」には造語感が乏しいが、それでも一般的に誰もが使う言葉では決してない。「みぞれまじり」は一般的だが、「みぞれまじりの心」となると、とたんに桑田語になる。
すべて濡れている「高湿度フレーズ」
面白くなってきたので、さらに細かく見ていくと、この3つに共通する感覚がある。それは「湿度」だ。「濡れている」ということだ。
「誘い涙」の「涙」、「みぞれまじり」の「みぞれ」(雪が空中でとけかかって、雨とまじって降るもの)。「泣かせ文句」の「泣かせ」。すべて濡れている。高湿度フレーズである。
途方もなく広大な桑田の歌詞世界の中で、最も大きな区画を占めている情緒・情感は「センチメント」と「メランコリー」である。そして「誘い涙」「みぞれまじり」「泣かせ文句」はすべて、その区画にすっぽりと収まる。
桑田語の特性は、リズムとメロディ優先で、ある種後付け的にでっち上げられた言葉だったとしても、その意味内容が、感覚的に伝わってくるところである。そして、その代表例が先に分析した《勝手にシンドバッド》の「胸さわぎの腰つき」だ。
繰り返すが、サザン/桑田佳祐はメジャー過ぎるがゆえに、その言葉の独創性が見えにくくなっている。だから、桑田語の凄みを感じるためには、意識的に歌詞を読み直さなければいけない。この本が、「桑田語読み直しムーブメント」のキッカケの1つとなれば嬉しい。
今回見たように、《いとしのエリー》たった1曲の中にも「誘い涙」「みぞれまじり」「泣かせ文句」という強烈な桑田語が並んでいた。これらは、言ってみれば、日本語ロックにおける「言語革命」の痕跡である。
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